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2025.04.05
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2012.04.11
久しぶりにちくま学芸文庫の正史蜀書手に取って、孫盛はホント姜維のこと嫌いだなぁとニヤニヤしつつふと気になったこと。

っていうか余談ですが、裴松之って結構好き嫌いの感情優先で論評してるイメージだったんですが、姜維周りに対しては結構理性的ですね。蜀贔屓の心情故かもしれないですが。
そして孔明没後の蜀行政トップは録尚書事を兼任させて政策立案・行政権を持たせつつ大将軍→大司馬ルートで兵権押さえてるかんじみたいですけど、蔣琬の発病および荊州からの北伐計画中止が確定したと同時に費イが大将軍になってるということは、実質的にこの時点からツートップ体制になってるんですなぁ。そして孔明の副官だった蔣琬、劉禅側近かつ孔明とも親しい費イと違って、純軍人から政権トップになっちゃった姜維は異色すぎるというか、そりゃ朝廷掌握出来なくて当然です。
ちゃんとした史官も起居注の担当官も置いてないって時点で、陳寿やら後世の人間の感傷はともかく蜀漢がマトモな国家の体裁を成してなかったことは明らかだと思う訳ですが(孔明のうっかりとかでは済まされない致命的欠陥)、政権トップが大将軍とかの軍事職って、ほんと政府の体制として非常時すぎる……よくあんな政権が何十年も保ちましたよねぇ。乱世こわい。
陳祗が死んだ後の尚書令って誰なんでしょう……どっかのサイト見た方がいいのか自分で正史パラパラした方が早いのか俄に判断つきませんが(^_^;)


で、本題。
鍾会の乱についての経緯は鍾会伝が一番詳細ですけど、
・魏・蜀ともに高官は官舎に幽閉されていた
・鍾会と一部の側近が成都を掌握した形になっていた
・魏の兵士は鍾会に従わず、上司たる魏高官を救出しようと蜂起
・人質の魏高官を皆殺しにするべきと進言されたが鍾会は迷っていた
・戦闘で両軍数百人の将兵が死亡
・鍾会の甥もクーデターに加担、鍾会と共に死亡
 
という記述にプラスして、蜀書に散見される記述を見ると
・鍾会は孔明や蔣琬に対する尊敬の念をパフォーマンス的に示している
・クーデターにあたり鍾会は益州牧と自称
・鍾会は当初略奪を禁じていたが、乱のどさくさで(多分魏兵による)略奪が起きている

・どう見ても姜維が鍾会クーデター政権のナンバー2
蔣斌・蔣顕(太子僕)兄弟も鍾会の側近ヅラした結果クーデター騒ぎで魏兵に殺されている(為亂兵所殺)
・劉禅の長男、太子劉璿もこの時に殺されている(璿為亂兵所害←蔣兄弟と同じ表現)
・ついでに張翼も死んでいる(彼のスタンスはよくわからない)※追記にて修正
・姜維の真の狙いは、鍾会に魏高官を皆殺しにさせた後、鍾会を殺して蜀を復興させることだった…という噂がまことしやかに囁かれ続けている
・姜維は劉禅に数日だけ堪え忍んで下さいという趣旨の密書を送っていたらしい

・劉禅は264年1月中に洛陽に移送される予定だったが、鄧艾の逮捕、鍾会のクーデター騒ぎの間は延び延びになっている
・劉禅は混乱の中、郤正と張通だけを供に洛陽へ急遽出発した(多分クーデター終熄直後)
・鍾会が鄧艾を弾劾する時に口実とした独断専行とは、降伏受け入れ後に勝手に劉禅を剽騎将軍に任命して、元の宮殿に住まわせ続けたことを指す

……てなかんじ。
一連の記述から推測出来るのは、劉璿も鍾会クーデターの一員ないし何らかの役割を果たしていた可能性です。蜀高官は幽閉されてた筈ですし、他の殺されたと明記されてる面々って積極的に鍾会の乱に加担してた人達ですし(張翼はちょっと不明ですが)。
鍾会に人望がなかったと言えばそれまでですけど、一部の蜀臣が鍾会を担ぎ上げて、魏メンツの方からは全く承認されてない…というクーデター政権。
実際鍾会本人は自分が蜀を掌握していずれ天下の主に…とマジで考えてたんでしょうけど、乱に大義名分を与える為の名目として
・実は劉禅は既に退位していたから、皇帝として鄧艾に送った降伏文書は無効だよ!
・だから蜀は正式には降伏してないしまだ滅んでないよ!
・これからは新帝劉璿を、漢の忠臣にして英雄鍾会が支えるよ!!
みたいなことを言っていた可能性があるなー…と、思いました……(-_-;)
そして姜維ら蜀臣がかなり無計画に突発的クーデターやらかしたのって、劉禅が護送される前に形勢ひっくり返したい…という焦りがあったんだろうな、と。名目上は劉璿にトップをすげ替えてたとしても、彼らにとっての主君は劉禅でしかないし、劉禅(及び劉一族)と引き離されたら蜀の復興の可能性も永遠に潰える。鄧艾の厚遇が心証悪くして、護送先の洛陽で処刑されるという可能性も考えたでしょうし。

陳寿がその辺を有耶無耶にしてるのって、基本的には魏や晋の鍾会の乱に対する公式見解に従ったということでしょうけど、劉禅の名誉や自分達元蜀臣の地位を守る為にも、そういう記述(鍾会が一人で勝手にやったこと)にせざるを得なかったのではないでしょうか!(`・ω・´)
蜀降伏を自国の快挙としたい魏晋にとっても、あの降伏文書は嘘でしたって言い難いですしね。実際にも所定の手続き踏まえてて嘘文書じゃないし、じゃあそんな妄言吐いた人間がいたことの方を抹消。


個人的には結構ありえそうなシチュだと思うのですが如何でしょうか(^_^;)
裴注に収録されてる以外の同時代資料がほぼ散逸して読めない今となっては、事実関係を検証することは完璧不可能ですが、ひとつのオリジナル解釈としてこういうこと言ってみるのもアリですよね。
っていうか三国志ファンならみんな上で箇条書きした事実くらい普通に知ってるし、絶対誰かが似たようなこと言ってそうな気がするんですが……。
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2012.03.28
それにしても劉禅様マジ天子(´∀`*)

自分が三國無双で腐萌えが出来るようになるとは予想外でしたし、こんなに劉禅好きになるとも思っておりませなんだ。
とはいっても元々三国志キャラ(正史・演義・他小説漫画・無双などが渾然一体とした脳内三国志人物を指す)を「嫌い-やや嫌い-普通-やや好き-好き」の五段階で評価するなら、今回の無双の所為で劉禅やや好き→好き、姜維やや嫌い→やや好きへ変化したかんじなので、姜維の二段階アップの方が好感度の上がり幅としては大きいかもしれませぬ。
姜禅のことを残念な獄ツナ呼ばわりしてますが、劉禅がツナさん的なんじゃなく、姜維が獄寺的なんですよねぇ。つくづく私は獄ツナ的な関係に弱い(^_^;)
といっても、獄寺が出会って2年も経たずにツナさんを脳内理想のボス像に無理矢理当て嵌めるんじゃなくツナさん自身を見て尚尊敬出来るようになったのと違い、無双姜維はあれだけ長い年月を共に過ごしても、結局最後まで劉禅様の実像を見ることがなかったんだなぁとか思うと、中学生に恥ずかしくないのか五十路…( ´_ゝ`)
いやこの場合は獄寺を讃えるべきなんでしょうな。獄寺はすごい奴だよ。
そして見せかけの安寧に身を置いて自己主張しなかった無双劉禅にも咎はある。

猛将伝買う前に辛抱溜まらず猛将伝の鍾会の乱プレイ動画見ちゃったら、司馬昭と劉禅への嫌悪を露わにする姜維ファンと、それに反発する姜維アンチ及び前者ファンとの間で、喧々諤々で阿鼻叫喚な長文コメが飛び交う地獄の三丁目と化しておりまして。修羅道に堕ちるほど彼らが好きで仕方ないんだなぁと、なんだか微笑ましくなってニヤニヤ(・∀・)しちゃったんですが、まあこの手の議論が起きるのは仕方ないですよねぇ。
元々姜維って三国志ファンの中でも好き嫌い分かれる類のキャラだし、そう思うと無双6になって弟子キャラだけじゃなく妄執属性が付加されたことで、初めて姜維は「姜維」である必然性を得られたというか、史実の姜維像に近付けたのかもしれない。
そして2の頃は、無双ファン=三国志の知識皆無みたいな偏見(及びそれに近い実情)があったのに、10年近い歳月を経た今や正史系の知識を使って罵り合えるくらいに皆成長したんだなぁと思うと、何やら感慨深いものがあります。無双をきっかけに三国志全般を好きになってくれたら嬉しいなぁとか、今思うとかなり上から目線で願っていた、それに近い現状になってますよね(わざわざプレイ動画見たりコメしたりするのはオタファンの中でもかなりコアな層かもしれませんが…)。


適当にググってたまたまヒットしたどこかの過去ログとかニコ動の解説動画をチラチラ見た限りでは、姜維及び蜀後期に関しては「姜維戦争全史」さんが近年のオピニオンリーダーなんですかね。私が三国志から遠離った後の2006年に開設したブログだから今まで全然把握してませんでしたけど、これからボチボチ少しずつ内容読んでいきたいですわぁ。
私がネット泳ぎまくってた頃の論究系三国志はニセクロさんとか大澤良貴さんの全盛期だったなぁ。特にニセクロさんの論説にはすごく感銘を受けました。
姜維戦争全史のJom​ini​anさんが雑談っぽく、魏延好きな人は姜維を過小評価しがちだとブログ内に書いてるのを見て、大澤さんへの嫌味かなぁ(^_^;)とか苦笑しちゃったんですが、確かに私が元々姜維があんまり好きじゃなかったのも、魏延が大好きだからという理由もちょっとありますわな(笑)。姜維は諸葛亮の後継者というよりも役割的には魏延の後継者ですし。漢中密着型実戦指揮官。
ただ同じ論調で言うなら、姜維好きな人は費イを過小評価しがちですよね!(`・ω・´)これは日本で五指に入る(というか自分以外の主張を見たことがない)費イ×董允カプ厨の私には由々しき問題ですが、しかし董允持ち上げようとすると必然的に劉禅株が下がるという……。なんというシーソーゲーム。
結論:みんなちがってみんないい。
2012.03.28
三國無双6。
なんでクロニクルにED2種類あるのかはよく解りませんでしたが…(^_^;)未クリアの灰色マスが残り1つになった時点で1つめのED流れたんですが、ラストのそれは列伝凌統なので列伝コンプEDという訳でもないだろうし、列伝以外はとっくの昔にクリアしてトロフィも貰ってるしで、割と???な気分でした。ホント何なんだろう……。

まあクリアしたと言っても、父に「ちょっと、呉キャラの列伝まだ残ってるんですけど?」とか苦言を呈したら、その日の夜中に「終わったからED見に来ぃ~」とか呼ばれて見に行った訳で、決して自力で出したEDではない(-_-;)呉キャラでも黄蓋・呂蒙・凌統の列伝は私がプレイしたんですけどNE!
いつの間にか私が魏・蜀・晋、父が呉・他と分担が決まってるのですが、それ、私の担当人数大杉じゃないですか?無双2~5まではワタクシ周瑜・孫尚香遣いだった筈なのにどうしてこうなった。
5(PS2移植版)の周瑜は武器変わって遣い難!!!!!というのしか覚えてないんですが、6の棍アクションはそこそこ使いやすいっス。まあネタで笛とか竪琴装備させてることの方が多いんですけど(^_^;)笛のチャージ何だっけ?両手ばっと広げるポーズがナルナルしくてすごく笑えます。
ていうか6張コウ何故かすごく使いやすい……2の時の無双乱舞でどこに飛んでいくか分かんない使い勝手の悪さが印象に残ってて今まで敬遠してたんですが、これは確かに美しいアクション。

まだ特技全取得してなくて台詞鑑賞(通常)が聴けないキャラが何人かいるし、ましてや絆関連もまだまだなので(人望の将・好漢収集家トロフィは入手、艶福家はまだ)、やりこみ要素残ってるといえば残ってるんですが……もう猛将伝に進んじゃってもいいですかねー。猛将伝のレジェンドモードだと武将の育成が楽みたいですし。
その前に呉のストーリー自分でもやっときたいですけど(^_^;)今作、ゲームとしての操作性・使い勝手には著しく難がありますけど、イベントと戦闘が一体化してる構成のおかげで、ギャラリーに入ってるムービーとイベントだけ見てもストーリーが完全には把握出来ない辺りは、シネマティック一騎当千の面目躍如なんでしょーかね。
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