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2024.05.18
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2009.05.11
講談社から出ている、レッドクリフのノベライズ全二巻。
映画ネタバレを防ぐ為にパート1観終わってから上巻購入し、下巻は予め買っておいたものを読まずに我慢してパート2観てきたその日に読んでみました。
流石高里椎奈です。全体的にエンタメ系ですが、普通の歴史小説としても充分楽しめます。
恐らくジョン・ウーより格段に中国史に詳しいであろう高里が、どれだけ映画のストーリーから逸脱せず且つ正しい設定を盛り込んでいくかという苦心惨憺、物語の整合性を求める為のアクロバティックな離れ業の数々がこの小説最大の見所。


◆上
まずは大喬どこいったという最大の謎を何とかすべく、プロローグとして孫策に略奪されたばかりの二喬姉妹から話を進めます。
大喬と会えないでいる内に、彼女が既に孫策とラブラブの仲であると端番から聞いて愕然の小喬。ムシャクシャして偶々やってきた周瑜に八つ当たりしまくっていたら、下手すれば強情とも生意気とも取れる気質を聡明だの心の強さだのと褒め称えられ、ついうっかり絆されてしまう小喬なのでした……。
いや、周瑜も別に口先だけで騙したとか宥めたとかじゃなく、小喬みたいな喧嘩腰の反論だろうともポンポン言い返して対等に議論してくるような女性が好みのタイプだったんだろうなぁ、と読める描写ですが(^_^;)
高里版レッドクリフの周瑜はどちらかというと静のイメージの人なので、直情な理想家である小喬を立てるのが苦にならないんでしょうね。というかそういうタイプの扱いは孫策で慣れてるのか(笑)。伯符の夢は私の夢。もうきっと身体の一部なのです」……なに初対面のお嬢さん相手にノロケてんだこの人。
戦を終わらせる為に戦う。戦が嫌いだという小喬に対する回答としての孫策や周瑜の理想はある意味欺瞞でしかなく、敵である曹操だって似たような理想は持っています。にも関わらず後編での対面シーンで小喬が曹操に反発するのは、夫の敵であるという以上に曹操が小喬の理想を受け入れて頷いてやるだけの度量がないからだったのかなぁとも思ったり。包容力の差。

そして映画冒頭部分に当たる長坂へ。麋夫人が井戸に落ちる前に彼女の人生にも少々踏み込んでいるので、それ以外の劉備軍シーンでも映画にいない麋竺を投入し、モブ武将のセリフを喋らされたり妹の死に打ち拉がれたりします。実はモブ武将の正体は関平だったらしいですが、作中で名前も呼ばれず字幕も出ないので解る訳がない。
なんで長坂なのに関羽がいるのー!?(゜Д゜;)という疑問には、夏口の劉琦からの援軍を連れて戻ってきたんだよーという無双ぽいかんじのフォローが。錐行之陣は後方からの奇襲に弱いから…と理屈を付けて、ありえヌェー勝利にも説得力を持たせようと努力しています。
趙雲の愛馬の名は白龍。基本ですよね(゜∀゜)!橋から落ちそうになった趙雲を張飛が引き上げる小説オリジナルシーン挿入。長坂仁王立ちをやってもらって、そういや映画ではコレがなかったな…と暗澹たる気持ちになりました…(-_-;)

場面飛んで呉。程普・張昭・黄蓋を初っ端から名前付きでどーんと出して、いつの間にか黄蓋まざってた感を軽減させる深謀。「甘寧興覇よりまだ若い」とさり気なく甘寧の名前を出しておきながら以降は甘寧登場させず、数ページ後に謎の架空武将甘興を出してくることで読者に彼の正体を推測させようという遠慮。魯粛が演義系のアワワ性格をしてることについては、親しい相手には我が身の損得度外視して相手の立場や感情を優先してしまう性格だから周瑜に米倉一つぽんとあげてしまうんだよと、正史エピソードを引用して魯粛の美点という風に紹介しています。穴だらけ設定の綻びを繕うのは苦難の連続です。
そして何故か面白アトラクション八卦陣の犠牲者に、本来は許都でお留守番してる筈の夏侯惇が抜擢。か、可哀想ー!!(´Д`∥)しかし架空武将がうわーとか叫んでるより、よく知る実在武将がお話に登場してくる方がちゃんと三国志なかんじで読者の興奮度が全然違います。副官は文聘。勿論惇は歴史が変わらないように無事脱出。映画ではこのコンビは夏侯雋と魏賁という名前らしいですが、ネットで見るまで全然知りませんでした。
映画観てると何でコイツら盾に誘導されるまま動いてんだ盾の後ろにいる兵狙えよアホじゃなかろかと思ってしまう訳ですが、頭に藁の詰まった架空武将ではなく仮にも夏侯惇なので、槍で狙われた時点で手近な盾兵に突進していきます。他の兵士も盾に攻撃したけど弾き返された…という風に改変。

お腹の子供に平安と名付けたいんです的な寝言を小喬がニャムニャム唱えるレッドクリフ有数の謎シーン。だって周瑜の子供は循と胤と娘、最低三人いるのに、周瑜の死ぬ二年前に初子を妊娠したばかりとかあり得ないでしょ。三つ子ちゃんか。しかも平でも安でもないですよ!ここもきっちり改変。今はまだ口に出来ない小喬の願いを宿した文字だ」……別に子供の名前とかではなく、(主に周瑜の心の)平安を祈って書き連ねているのだという風にしています。


◆下
夏侯淵かっこいいいいいい。
曹操軍には人が(架空武将以外は)おらんのかという魏ファンの嘆きに応えて、丞相の左右に有名どころが揃い踏み!映画にいた実在武将は曹洪一人だけですが、それに加え夏侯淵、惇、張遼、許cho2.gif、楽進、あと参謀に荀攸と程iku2.gif。なんと豪華な面子!!
曹洪は従弟らしく曹操には「曹操様」と「従兄上」を呼び分けつつ、本当の血縁じゃない遠慮なのかずっと敬語喋り。しかし夏侯淵は曹操相手でも遠慮なくタメ口(笑)。なのに曹洪と夏侯淵の二人で会話してると、曹一族に属する曹洪の方が偉そうな物言いになるというのが何だか面白いです(^-^)まぁ曹洪と夏侯淵の場合は、架空武将の立場に無理矢理淵ちゃん当て嵌めてる所為で生じた設定の歪みなのかもしれませんが。
大したセリフがある訳じゃないのに、張遼と楽進の仲が悪そうな描写がきちんとされてる辺り、芸が細かくて好感度大です。でも荀攸の説明に最古参の軍師とか書いてるのは、荀iku.gifと混同してるのか?という疑問が。
しかし淵ちゃんいいキャラだ……下手に映画をなぞらなくて良いから、高里さんイキイキと書けたんですかね?
……これもネット情報ですが、映画の配役クレジットに張遼、許チョ、楽進、荀攸、程昱の名前があるそうです。そんなの知るか!高里さんはその配役を知っていて、モブ化していた各武将にそれぞれ個性を与える台詞や役割を割り振っていったのですね。

プロローグは引き続き小喬パート。彼女が戦嫌いになったのは淡い初恋の相手が戦で死んだからというエピソード、曹操と顔を合わせた時、彼に気圧されつつも好感を抱いたエピソード。二喬の父は喬玄で(正確には橋玄ですが)、小喬の生まれ年は西暦178年(霊帝が崩御する前年、つまり188年に数えで11歳)。周瑜より3つ年下で呂蒙と同い年ですね。前編で諸葛亮を最初に見た小喬が自分と同じくらいか少し下、という風に見積もっていましたが、小喬31歳で諸葛亮27歳。まあまあ妥当な推測です。
とはいえ、橋玄が死んだのは184年なので、188年に曹操と会話することは本来不可能なんですけどね…(^_^;)

高里版の周瑜はひたすらに美周郎です。個人的に例えさせてもらうなら、月光を受けて輝く夜光之杯のような美しさ。行間から光が漏れ出してます。「三代に亘る遺恨も水に流してしまえそうな麗しい笑顔」ってどんなだ。しかも真の魅力は容姿でも頭脳でもなく優しい誠実さって……。
個人的にはトニー見ても別に美周郎ってかんじはしないので、ノベライズ読んでる間はずっと周瑜のビジュアルが桑原祐子の旋風江挿絵周瑜でした。性格もああいう、映画より線が細めの毒にも薬にもならないタイプの周瑜っぽいような?まぁ、旋風江の周瑜の方がネクラだけど。

劉備達が立ち去った後、一人残った諸葛亮を何故か抱き締める孫権。小説の孫権は劉備達の離反が作戦だと知っている筈なのに、そこまでクサイ演技せんでも(^_^;)
そして周瑜が諸葛亮に十万本の矢がどうのこうのと言い出す理由が、劉備離反にカリカリするあまり諸葛亮に八つ当たりしそうな呉軍陣営の空気を読み、諸葛亮に無理難題言いつけて皆の憂さ晴らしをしつつ成功した暁には誰にも文句言わせないようにする…という意図が小説では解りやすく伝わっていました。
その蒋幹騙くらかす演技中、ミエミエの雰囲気でお知らせに上がった武官が陸遜(!)ということに。勿論美形。なんというファンサービス。なるべく実在武将を登場させようという執念を感じます。

投壺のシーンで矢が入らずもっと壺の口が大きければ!と悔しがる張飛に、「大きくても、貴方は外すでしょう?」とか失礼なことをほざく諸葛亮。嫌味でも非難でもなく楽しそうに言うのだから、性格が悪いと疑われても仕方がない。いや、明白に性格悪いだろ。
十万本の矢をどうするんだと心配しまくる魯粛への感謝で微笑みを浮かべても、本人には絶対にその感情を気取らせない。曹操にダメ出ししてるのを聞いた魯粛が、なら周瑜殿は?と訊けば「凡愚ではありませんが、格別優れてもいません」と一刀両断。高里孔明はいつもにこにこ笑っている無邪気なのんき者を装っているだけの、実際は滅多に心を動かすことのない、冷めた眼差しを持つ腹黒キャラのようです。
そんな諸葛亮が例の団子お裾分けシーンで、こっそりと誰の目にも止まらぬようなさり気なさで、吹けば飛ぶ儚さを醸し出してる(笑)周瑜の碗に団子を乗せ、去っていく。
孫尚香に詰め寄られて真意を問い質され、「友には心身共に健やかであって欲しいものです」「……貴方って、凄く解り難いわ」単なるツンデレか。
碗にいっぱい団子を盛られた周瑜は、映画のように一気食いすることなく、他の皆が食べ終わって持ち場に戻っていっても一人居残って食べ続けてます。美形は下品なことしません(笑)。

映画ではいつの間にかフェードアウトしていた驪姫(曹操に小喬の身代わりを強要されてる踊り子)ですが、小説の赤壁では男達がわーわー戦闘してる最中、嫉妬に狂い小喬を殺そうという活躍(?)を。これは原案にあったものが尺の関係で映画に入れられなかったんですかねぇ?最後は小喬と間違えられて望楼から落ちそうになるのを小喬自身に救われる。
戦闘シーンはマトモです。敵船に体当たりする前にちゃんと船頭は脱出してるし、船が燃え尽きた後は火の勢いが弱まってるし、別に発石器から発射されてる大岩は炎を纏っている訳ではないようだし。ああそうそう、変な鉄盾シェルターもなし。しかし壮烈な戦死を遂げる甘興が、「周瑜様、貴方に拾って頂いた恩は……」とか言いながら死んでいくので、周瑜総受け小説か!と突っ込みたくなりました(笑)。そして夏侯惇に(!)矢を射かけられた周瑜を庇って肩を負傷する趙雲。なんかフラグ強化されてる(笑)。

そこまでの改変は無理だったのか、小喬が子供を身籠もっている設定はとうとう小説でも出してしまいましたが、「乃の子は平安である」と読ませて名前としての解釈は行っていませんでした。驪姫が関羽と張飛に救出されるのを見届けた後の、最後に自分も望楼から落ちそうになる辺りの展開は映画と同じですが、平安は無事か的な会話は一切カット。
前編で名前が出ていた所為か、何故か曹操を取り囲む連合軍オールスターの中に糜竺が紛れ込んでいます。よく無事でしたね(^_^;)鎮火作業を終えた諸葛亮も悠々と登場。曹操を見逃した理由は、演義で関羽が曹操を見逃した時に諸葛亮が語っていた屁理屈を流用していて、説得力があるかどうかは別として、一応筋を通しています。

最後の別れのシーン。いつか敵同士になるかも…と真剣に語る周瑜の言を、いつものようにのらくらとかわす諸葛亮ですが「貴方は農民には向いていない。天下に平和を齎す仕事をした方が良い」という言葉を聞いて、初めて表情から笑顔を消す。真剣な表情で周瑜の瞳の奥を見据えている。
台詞自体は映画と同じものですが、それを聞く諸葛亮の心境が恐らく映画とは違う。自分の積年の望みを言い当てられた諸葛亮が笑顔の仮面を剥ぎ取られ、それまで内心馬鹿にしていた周瑜のことを、初めて畏敬の念をもって見つめるシーンです。ここで周瑜の最大の魅力は人柄設定が活きてくると。
なんと、ただの修正ノベライズかと思いきや、周瑜と孔明という二代主役の性格が原作と微妙に異なっていたのであった…!と読者を驚かせつつ完。
映画と同じで今後の敵対関係は直接描かないラストですが、このラストシーンを経験した諸葛亮の心境は、恐らく戦慄を引きずったまま周瑜を全力で叩き潰してやる…!という決意へ向かっていくんじゃないかと妄想しちゃいます。演義の関係とは反対ですね。周瑜は演義孔明のように相手を馬鹿にして鼻であしらったりしないし、勿論諸葛亮にその余裕はありません。
映画の二人は爽やかなスポーツマンシップに則り次に戦場でまみえる時は正々堂々と戦おうではないか!みたいな雰囲気で、そして小説の周瑜も大体そんなこと言ってるのですが、諸葛亮だけダークサイド寄りの性格にしちゃった所為で作品自体が全然違う解釈になっちゃうのが、面白いです……。
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