解ってて何故やろうとするのか……。
という訳で、自分の書くリボ様は、何故他の男をツナさんに惚れさせようと仕組んだり、求愛行動取らせようと唆したりするのか。
自分にリボツナ属性がないなら話は簡単で、だってリボ様、原作からしてファミリー集めに余念がないし愉快犯だし他人を手玉に取るのが大好きだし。
しかしリボ様自身に恋愛感情があるなら普通はせんやろと。何故わざわざ敵に塩を送るような真似をするのかと。特にリボ雪とかまどんにーなとかのツナ女体モノ。
疑問に思ってたんですが先日、とはずがたりに関する論文を目にする機会があって。ひょっとしてこれの影響かなーと、ふと思いました。後深草院。作者である二条にとって、父親代わりにして初めての男、そして最後の男。
ご存知でしょうか、とはずがたり。私は杉本苑子の『新とはずがたり』で知ったクチなのですが(あれ?ひょっとして絶版?)、最近kissで『後宮』なるタイトルで漫画化されてましたよね。単行本買ってないので、飛び飛びにしか目を通してないのですが。
何故か2000年のさくらメールが6枚発掘されたので、それを使…ったんですが、残念ながら雲雀さん票はありません(^_^;)
偶々岡田斗司夫『オタクはすでに死んでいる』を立ち読みしたんですが、男オタクの著書にしては珍しく腐女子についても言及してたので、そこに関しては少々興味深うございました。
短い時間の立ち読みでざっくりと得た理解なので、実はとんでもない誤読してる可能性も充分以上にある訳ですが。敢えて間違いを恐れずに氏の意見を総括すれば、俗に言うオタクを、第一世代(40代)・第二世代(30代半ばから20代後半まで)・第三世代(主に20代前半)とに区分し、マスコミや論者がオタクを定義しようとする時、主に第三世代を主眼に置いている(と思える)ことに違和感を表明しています。で、第一・第二世代においては興味ある事物のジャンルに関わらない「オタク文化」なる知識をある程度共有していたが、第三世代は自分の興味ある事物にしか関心を抱かない。つまり統一民族としてのオタクは死につつあり、個人がそれぞれ己の趣味や生き様を世界に向けて問わねばならない時代がやってきていると言う。