偶々岡田斗司夫『オタクはすでに死んでいる』を立ち読みしたんですが、男オタクの著書にしては珍しく腐女子についても言及してたので、そこに関しては少々興味深うございました。
短い時間の立ち読みでざっくりと得た理解なので、実はとんでもない誤読してる可能性も充分以上にある訳ですが。敢えて間違いを恐れずに氏の意見を総括すれば、俗に言うオタクを、第一世代(40代)・第二世代(30代半ばから20代後半まで)・第三世代(主に20代前半)とに区分し、マスコミや論者がオタクを定義しようとする時、主に第三世代を主眼に置いている(と思える)ことに違和感を表明しています。で、第一・第二世代においては興味ある事物のジャンルに関わらない「オタク文化」なる知識をある程度共有していたが、第三世代は自分の興味ある事物にしか関心を抱かない。つまり統一民族としてのオタクは死につつあり、個人がそれぞれ己の趣味や生き様を世界に向けて問わねばならない時代がやってきていると言う。
……果たしてそうでしょうか?
第一世代に属する著者が、所謂第三世代に共感し難いと感じても、それは単なるジェネレーションギャップでしかないと思えるのですよねぇ。私はギリギリ第二世代に分類されるだろう年齢ですが(リアルタイムでエヴァやウテナを観たという意味で)、第三世代とのギャップはあんまり強く感じてません。リボにハマってるくらいなので(笑)。ていうか5つも年離れてない子相手にギャップ感じるのは嫌だなぁ(^_^;)
確かに世代ごとのカラーみたいなのはあるし、最近の若い子(中高生くらいを想定)はあんまり腐女子である自分を恥じていないのかなぁという気もするのですが、自分が10代の頃も微塵も隠れずに仲間内でワイワイやってたなぁと思うと、単なる通過儀礼にも思われるし。逆に腐女子であることを今も必死で隠してる子も多いでしょうしねぇ。
学校や職場で堂々と腐女子であることをカミングアウトしてる人は寧ろ格好良いと思うのです。大半の腐がそれを出来ないのは社会からの迫害や白眼視を恐れているからで、つまり隠す必要がない人とは、迫害されない環境にある人、または迫害を恐れず立ち向かおうとする強い意志を持つ、或いは迫害されてても空気読めなくて気付いてない鈍感力の高い人(笑)。つまりは主体性というより環境の問題が大きいと思います。
……つい話がずれました(-_-;)熱くなりすぎ。
再び氏の論に話を戻しますが、オタクと言ってもアニメやゲーム、フィギュアに萌えてる層だけじゃない、鉄道とかその辺のオタクはどうなるんだという論調も理解出来るのです。が、そもそもオタクというのは己の道に邁進する余り、社会から孤絶しがちな生き物ですよ。大体オタクというのが世間から受け入れられ難い趣味に熱中する人という、いわば外部からのレッテルが発祥と思えば、オタクの持つ趣味が徐々に世間に受け入れられ、軽~く齧っただけのライトオタクが増加することで、オタク世界自体が拡散していくのもある種当然です。横の紐帯が弱くなるのも当然で、だって元々全然違うことに興味持ってるんだから。オタクは元々一つの民族じゃない。
それでもオタクは存在し続けると思うのですよねぇ。世間がオタクというレッテルを必要としなくなったとしても、自分とは何かという自問自答への回答として。
先人が築き受け継いできたオタク文化に接し、それに強い親和性を感じたら「あ、自分はオタクなんだ」となる。その場合、若人の目に触れる文化が、ある程度多数派で、それなりに類型化されたオタク向け萌えコンテンツに偏るのは仕方なくて。そもそも概念的な存在に実体などあって無きが如くなんだから、その概念を必要とする人間がいる限り、それの指し示す実体がどう変化しても構わないと思うんですよねぇ。
氏の腐女子論(?)でも、統一的な腐女子論が現れないのは腐女子が個々の差異に敏感な生き物で、ある論を読んでも同意出来る部分より“違う”と思ってしまう部分に目が行く所為である、つまり統一民族として結束出来ないのだという論です。理由は、腐趣味自体が各々の恋愛観や人生観に深く結び付いたものであり、自分自身を語ることになるから差異に対して妥協出来ない、とのこと。そりゃ当然です、人の数だけ性ファンタジーがあって当然で、801(この場合eroではなく、JUNE系やBL、パロ同人を包括した女性向け男性同性愛作品全般を差しています)にハマっていく契機や何処に惹かれてるかなんて千差万別です。801の魅力の一つは、関係やシチュの多様性にもありますし。よしながふみと三浦しをんとの対談(前も話題に出した『あのひととここだけのおしゃべり』)で、きみはペットのモモちゃんみたいなキャラって少女漫画では珍しいけどBLにはゴロゴロいるよねーと語っていたことが思い出されます。私も年下攻は大好きです(この場合関係ない)。
しかし男性同性愛という共通の様式にそのファンタジーが集約される以上、何らかの共通する性向はあるのではないか。そしてそれは発見し得ないものなのか。
腐側からの回答も、既に提出されてると思うんですよねぇ。曰く、男女の恋愛に期待や夢を抱けないから。
中島梓の語る男女不平等社会における抑圧された女性、榎本ナリコの語る現実の恋愛に幻滅している女性や未だ未熟で恋愛に漠然とした恐怖心を抱いてる少女、一般人や男ヲタが差別的に語るモテない女の慰めとしての801。一見バラバラですが言ってることは一つです。男女の恋愛は女性の理想を満たせない。そもそも理想の恋愛なんて現実には存在しない。
話変わってうちの母はヨン様ファンの韓流オタなんですが、何故日本のドラマではなく韓流なのかと訊ねたところ「日本の恋愛ドラマ観ても、ありえへんわーと思っちゃって冷める。けど外国の人が外国語で夢みたいな恋愛していたら、外国にならこんな恋愛実在するかも…と思えてくんねん」とのこと。で、白人が演じてても完全に他人事だけど、同じアジア人種なら感情移入しやすい、ちょっとだけ外国なのがポイントだそうです。勿論韓国にもあんな嘘みたいな恋愛実在しないから!と力説したら、悲しそうな顔で「そうやろなぁ…」と頷いていました。可哀想なことをしてしまった。
この、ファンタジーにリアリティを持たせる為には、現実と僅かな位相の差が必要というのは、韓流オタと腐女子に共通した性向ではないかなぁと思うのです。日本人の男女には少女漫画にあるような理想の恋愛など成立しない。なら外国なら、なら男同士なら…?というファンタジー。勿論韓流オタも腐女子も本気で韓国人やゲイの人がそんなキラキラした恋愛を実際にしているとは全く微塵も思っていません。ただ、自分の知らない世界には自分の知らない何かがある…という可能性を否定しきれない、と思いたい。シュレディンガーの猫の法則では、箱の中を覗くまでは、猫が生きてるのか死んでるのかという確率は半々。決して開くことの出来ない箱の中で猫は生きているかもしれない。
少女漫画や日本のドラマを無邪気に享受出来ないのは、それだけ現実的なのか、単に割り切りが下手なのか、その辺りはよく解らないんですけど。腐女子の全員が少女漫画読まない訳じゃないし(少年漫画読んでる人の方が多そうだけど)。
腐じゃない人に何が魅力なの?と訊ねられた際は(まぁ基本隠してるんで滅多にそんなシチュないですが)、ファンタジーだからとか他人事感がいいから、と簡単に答えるのが専らです。あんまり真面目に答える気がないので、卑怯で不親切な回答ですが。このファンタジーだからという回答は私だけじゃなく腐女子一般の言い訳に使われやすい言説な気がします。で、それ以上の説明がないから訊ねた側は理解出来ない。
ていうか腐女子に腐趣味についての分析をさせること自体が無茶なんですよね、そもそも。大体の人は、女性が社会参画出来てないから腐女子になったり悲惨な恋愛体験をしたから腐女子になるんではなく、大した契機も明確な意志も理由もなく、なんとなくただ無性に意味もなく801が好きなだけなのです。そういう人に、じゃあ自分がそれを好きになった理由を探せと言われても、それこそ自分自身を探す旅が始まるだけで腐女子一般のことなど導き出せる筈がない。
そもそも自発的に腐が腐を分析しようと試みた場合、その動機は自己言及の為です。ホモ小説が好きな私は何だろう。腐女子というものらしい。じゃあ腐女子とは何だ?その問いに対する回答は“私とは何だ”の回答であって、厳密には腐女子とは何だの回答ではない。オタク論も同じじゃないですかねぇ。外部の人間が欲している腐女子全般はどんな生き物なのかという問いへの回答とはちょっとズレてるし、まして自分以外の腐女子から見ればズレはますます酷く見えることでしょう。上の、男女関係に幻滅してるからという通説も、10人に問えば4人くらいの人は違うと言い出す筈です。
種族全般を視野に入れた冷静な分析は、当事者ではなく腐属性を一切持ってない心理学者や社会学者に任せた方が良さそうな気もします。沢山のサンプリングを取って、それこそ最低500人くらいの腐女子になんたら傾向を測るテストを受けさせて、何パーセントの有意差が出たから腐女子は一般女性に比べてこれこれの傾向があると断言出来る、みたいな(専門外なのでテキトー言ってます)。
精神分析の分野ではそういう意味で斎藤環に期待してるんですが(西村則昭は801概念自体をちゃんと理解してない気がする)、あの人の腐女子規定も榎本ナリコの引用以上のものではない……。とはいえ、彼女の分析は結構イイ線いってると思うんですよね。彼女の漫画には殆んど共感しないのに(笑)。つまり自己言及だけでなく、ある程度の普遍性を有しているように感じる(?)のですが。
岡田氏が腐女子論に秀逸なものが存在しないと言うのは、現行の論にあまり目を通してないだけなんじゃないかと思ってしまいます。まあ斎藤環の男オタ論自体に違和感を表明しているくらいなので、敢えて無視してるのかもしれませんが。せめて中島梓の『コミュニケーション不全症候群』と『タナトスの子供達』は読むべきだ。あと私の知ってる限りでは、榎本ナリコの『大人は判ってくれない』(野火ノビタ名義)とか、水間碧の『隠喩としての少年愛』とか。『タナトス』文庫版の榎本解説は、二者の共通する部分が端的に書かれていて結構面白いです。私が目を通した本は少ないですが、探せばもっとある筈(特に近年は)。
数は少ないけど自己言及に毛の生えたような分析本は数種類書かれていて、それがあるべき場所(801とは何かを分析的に語る際)で言及されないという状況は、単に世間や男オタクの世界から無視されてきたことに起因します。これも先日立ち読みした杉浦由美子『腐女子化する社会』で、斎藤美奈子だか誰だかが(立ち読みなので記憶が曖昧)自著で女性はオタクになりにくいという論を述べている事例を取り上げていましたが、JUNE系は私の生まれる前から存在していて、同人世界では女性向けサークルの方が多数派で、にも関わらずほんの5年くらい前まで腐女子は存在しないものとして扱われ続けてきた。そんな歴史があって、しかも第一・第二世代(この分け方ホントに使えるのか疑問なんですが)の腐女子は世間の好奇の目に曝されることが苦痛で仕方ない。正しい姿を知って貰いたいと考えるより、前みたいに無視し続けて欲しいと考えている。サンプルが非協力的なので、実態はなかなか掴めないと思います。
腐女子の中心年齢一つ取っても、ある論では10代半ばにしていて、別の論では30歳前後にしてるし。『腐女子化する世界』は主に経済的な側面から腐女子でない人が(ここを評価したいんですが…本屋で買うのは恥ずかしいからネット通販で買おうかしらん)著しているので、一番金を使う層であるaround30に注目するのも理解出来ますが。主観では同人イベントで一般参加してる中心が10代中盤から後半、サークル活動してるのが20代前半から中盤中心(書き手の場合40代後半までいますが)、一回のイベントで何万円も使っているコアな層がaround30みたいな?いや統計データないんで憶測ですが。今数値化されてるデータって、野村総合研究所のオタ市場規模2004年で年間4,110億円、だけですよね?『腐女子化する世界』に市場規模は年間120億円とか書いてるらしいですが(未確認)。あと腐女子ナビとやらで登録者一万人突破とか風の噂で聞きましたが、勿論私は登録どころか一度も覗いたことないし、これは全く正確な数ではない。
腐女子ナビに登録してみたり、場合によっちゃテレビインタビューとかにも答えられるオープンな層や、世間の目には曝されたくないけど腐女子論みたいなのを読みたいし時折無性に語りたくなる私みたいな層は少数派で、大半の人達はひっそりとコミュニティの中だけで暮らしたいと思っているのでしょうし、……というのも統計データある訳じゃないし、ホント難しい。
長々とダベって、つまり結論が何かと言うと、岡田氏がいくらオタキングを名乗ろうとも、自分の狭い視野に映る事物しか喋れてないよね、と。腐女子論についてもそうだし、オタク一般に対しても、自分が年を取って若いオタクのことが理解出来なくなったから(自分の知ってる)オタクは死んだと思い込んだ。でも実際は彼自身生きてるし、若いオタクも刻一刻と生まれ続けています。
同じSF大会世代でも、大森望のライトノベル書評は面白いし的を射てると思うんですけどねぇ。同人バブルよりも遠い過去過ぎて想像付かないんですが、あの時代が輝いてたのは田中芳樹とか恩田陸とかの著作を読めば解るので、懐かしく思うのは解る気もするのですが……(^_^;)
昔が良かったと思ったり最近の若いモンはとか言ったりするのはメソポタミア文明の時代(BC3500頃)から5000年以上続いてる伝統的で普遍的な人類の性向らしいので、まぁそれなんでしょうね。それだけオタ界も豊穣な歴史を積み重ねてきたということで喜ばしい限りです。弥栄!(無理矢理〆)