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2024.12.05
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2014.11.25
続き。
素人の少女小説読みに行って、何で三国志考察文を熱心に読んでるんでしょうか、自分……(-_-;)
今読んでるのは(いや物自体オンリーワンに近いですけど)、独自性や一部見るべき内容もあって、書き手さんが魯粛と諸葛亮と賈[言羽]すごく好きなんだなぁとも伝わってほのぼのした一方で、考察自体の説得力はややイマイチでしたかね。そもそもテキストサイトならぬ、なろうの非小説作品にどんだけのレベル求めてるんだっつー話ですけど。
単純ミスはともかく、人物評価に好悪の情を関わらせ過ぎて、全然冷静な論調になってないのが惜しいんですよねぇ。もう少し文章から感情隠せば多少説得力も出るんでしょうけど。

ミス①郡吏上官の子脩さんじゃなくて郡吏の上官子脩さんやろ……(-_-;)
というか上官が姓で子脩が字だろうから名前自体は不明ですけど、そんなに重要人物じゃないから歴史に名が残らなくても仕方ないですよね。人材不足で魏からの寝返り組が軍事的重職担いまくりの蜀ですら頭角を表せないレベル。しかし三國無双には出れたよやったね!
ミス②夏侯楙が主の婿と表現されているのは曹操の長女の清河公主と結婚してるからです。まさか書き手さん知らないんですかね?

まあそれはともかく、ある程度贔屓目線が入るのは仕方ないにしても、曹操の統治能力と劉備の軍事指揮能力をいくらなんでも低く見積り過ぎじゃないですかねぇ、あの人。
私はやはり青州兵を手に入れたことは魏武の強の始まりだったと思いますし、現場指揮官としての劉備は公孫サン配下の武将の中でずば抜けてたからあちこちでコネ作って独立勢力にまでのし上がれた訳ですし。よくもまあ与した勢力大概滅亡する中で軍団の体裁維持したまま生き延びてこれましたよね、劉備も。
でも孫権に軍事的才能がない件についてはあんまり弁護出来ませんわ(-_-;)……弓は上手いですよ?(精一杯のフォロー)

当時の名士層の武力も高く見積り過ぎですよね。あの人達って大半は馬に乗れないし、武人なんて基本賎職扱いですよ?可哀想な張飛……(´;ω;`)虞翻は妖怪だから基準にしてはいけません(でも虞翻の古典解釈って割とけったいなことばっか言ってますよね、現代ではほぼ採用されてない)。


個別の論に対しての感想ですが、まず陳宮とエン州反乱。
考察の方向性と結論は概ね正解に思いますし(曹操に袁紹からの独立志向があったのと、エン州人士ともめた結果陳宮が板挟みになったのは間違いない)、でもって青州兵が乱暴で自軍からも鼻つまみだったのは確かですけど、青州兵の存在や行い自体がイコールで反発を買ったのではなく、後漢においては半飾り物の余所者である太守・刺史が、乱世になって赴任地を自領として私物化して、支配者として独裁してこようとするのに元々国からも自立性の高かった豪族自治組織が反発するという、あちこちであった摩擦の一環だと思うんですよねぇ。刺史の名称が牧になって軍事権持つようになるのと同じ流れ。
劉焉や陶謙の正史での評判がめっちゃ悪いのは独裁敷こうとしてかなりの無茶やったからですし、かといって劉表や袁紹みたいに現地豪族集合体の傀儡になりきってしまうのも勢力や立地によっては非常に危うい。劉表死後に劉ソウぽいされてますし、いくらおもねっても都合悪くなると裏切られるのがオチ。そもそも何の為に本拠地求めてるんだっつー話です。
孫策も軍事力を盾に現地豪族の力を削ぐ方針でやって反発買った訳ですし、孫権は実力的に粛清的なことが出来なかっただけで全氏とかの中小豪族や呂蒙みたいな寒門優遇したり、晩年は暴君化もするという(晩年の孫権は単なる老害化な気もしますが)。
戦乱による治安悪化で独立農民の数が減って豪族の部曲という形で私されてる状況下で、豪族におもねらず兵力を確保しようと思ったら青州兵みたいな流民を私兵化して囲いこむのが一番手っ取り早い方法なんですが、……まあ豪族と対立し過ぎて反乱起こされるに至ってる時点でバランス調整完璧に失敗してるのは間違いない(-_-;)誰でしたっけ、徐州虐殺でドン退きされて完全に信用失ったというどなたかの説も昔読みましたけど、これもトドメですよね。

曹操の潁川統治が物凄く成功してるのは、あそこが黄巾の乱の最大激戦地で農民大分逃げ出してるから青州兵諸々を屯田させる土地に困ってなかったのと、現地豪族ネットワークに対しては荀イクさんががっちり不満押さえ込みつつ有力な家の人材をどんどん曹操陣営に推挙して両者の関係を密にしていったのが要因ですよね。屯田自体にも荀イクさん関わってるし。
だからといって潁川以外は支配出来てなかった訳なく、配下武将を郡太守や県令に任命して派遣してるんだから、現地への負担になる無茶な命令は出せなくても概ね統治の体は成してたと思うんですが……?逆に言うと青州兵をその後も養い続けてるにしても、別に潁川の人々(豪族)に曹操が悪逆を成してる訳じゃないですよね。エン州時代は屯田始めてないから、食料供給の面でも現地に負担かけてたんでしょうけど。


あと魯粛論というか、劉備は自力で荊州南部を手に入れたんじゃなく完全に呉の好意で貸与されてたものを借りパクした説はすごく面白かったし説得力もあったんですが、書き手さんの劉備への低評価が足を引っ張ってるよなぁ的な(^_^;)
借りパクした荊州を返さないのは別に劉備の個人的な恨みが理由ではなく、関羽のパーソナリティによる原因が一番大きいのと、あと劉備陣営の判断として、荊州と益州の両方領有してたら呉の力を借りなくてもある程度魏相手に二方面作戦で戦争出来るというのがあって、最終的には呉との友好関係よりも自力での魏攻略の可能性を優先したという話なんじゃないですかねぇ。孔明も積極的には止めてないし、メリットなけりゃあんな恥ずかしげもなく背信行為しませんて。
荊州失った時点で蜀が魏に勝つ確率はほぼ0パーセントになった的な見方は21世紀の三国志界では定説化してると思ってたので、孔明の北伐も本気で魏に勝つつもりで出兵してた的な書き手さんの考察文読んで驚愕したんですが、いやまあ、孟達の寝返りと連動して第一次北伐やろうとした時くらいは勝つつもりあったかもしれませんね、うん……出兵前に司馬懿の電撃作戦で孟達討伐されましたけどね……。

そして私は周瑜のことが物凄く好きですが、劉備相手に後年成都急襲を進言してたホウ統が当時の周瑜のブレーンについてるから、短期決戦で周瑜が益州攻略出来る……かどうかは未知数ですよね(^_^;)実際やってみた訳じゃないし。
確かにホウ統が周瑜陣営で練った作戦を劉備入蜀に応用した可能性は高いですし、甘寧という蜀出身で地の利のある人間も配下にいた周瑜には充分な勝算があって、実際に蜀攻め実行出来た場合は勝利してたと私も思ってますけど(ファンですから!)、劉備入蜀の場合は張松や法正という内通者がいて劉璋の要請を受けて堂々益州に入り込んだという経緯があるので、最初から外敵として攻め込む周瑜が劉備より短期で決着つけれるかどうかは疑問ですよね。
劉備の謎の人望に比べて、周瑜の揚州随一の名門という肩書きは揚州を出ても……結構益州でも通用しそうな気もしますな、あの時代だと(^_^;)
劉備のアレは何なんでしょうねぇ、名士層相手には鄭玄・廬植門下の肩書きと孔融からの絶賛が効いてるんでしょうけど、民はなんであんなに劉備のこと好きなの……。


話を戻して。
北伐論は孔明弁護に終始してて、個人的には全体的に論調がずっと苦しい印象でした。
勝敗で軍事の能力を判断しちゃ駄目って、じゃあ何で判断すりゃいいんですかよ!?陽明学じゃないんだから、結果から判断するしかないですやーん。
目的が戦闘の勝利になくて、でもってそれ以外の目的がしっかり果たせているなら成功と表して問題はないでしょうけど。

魏延の北伐の目的:劉備の恩に報いて魏を滅ぼす
孔明の北伐の目的:仮想敵を作って挙国一致の雰囲気を作りつつあわよくば涼州方面を魏から掠め取って国力つける
姜維の北伐の目的:自分の地位を保ちつつ涼州を蜀の版図に組み込んで故郷に錦を飾る

ってなかんじで、挙国一致出来てたけど領土的には武都・陰平取って漢中の守りを固めるに留まった孔明の北伐は、結果で判断するならやや成功気味だけど大したことないレベルってかんじでしょうか。祁山すら奪れてないようじゃあねぇ……(´_ゝ`)
孔明が立派なのはあれだけ連年のように兵を動かしながら蜀の国力を低下させなかったことで(人口90万で兵士10万養うとか頭おかしい)、また目的もどっちかというと内向けの政治パフォーマンス要素が強い…というか、そうじゃなかったら長安攻めない時点で単なるチキンのアホだと思うので、陳寿の政治家としては卓越してるけど軍事的には凡庸という孔明評はそんなに間違ってないと私なんかは思います。

あの人の司馬懿論は盲点だったというか、確かに孟達討伐や公孫淵征伐、対曹爽クーデターにしろ司馬懿の真価は持久戦じゃなく電撃戦の方にあるのは、言われてみればそうなので、正面からぶつかっていくタイプといえばそうなのかもしれない……。
でも司馬懿の電撃戦は、先見の明と周到な準備あって初めて実現する類のものなので、軽挙妄動タイプでは全くないんですけど。そして軍事行動と性格を直ちにイコールで結びつけちゃうのもアレですが、曹操が少数の兵だけ率いて別行動しちゃいがちなのは落ち着きない性格が原因のような気もする(^_^;)
そういや曹操の漢中攻めの後でこのまま蜀まで攻め込んじゃいましょうYO!進言してるし、やっぱり司馬懿って基本的には積極策タイプなんですかね。そういや以前このネタで司馬懿→荀イクss書きましたねぇ、懐かしい……。
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