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2025.04.05
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2013.04.18
あ、なるほど。
祁山は魏領だけど武都・陰平は蜀領なのか……。
ちくま正史付属の地図よりもっと分かりやすい図が載ってる本、絶対家にありそうなので一度探してみましょうかねぇ。ムック系とかにありそうですよね、あーゆーの。

昔からというか、特に馬超の乱に際しての妻子虐殺とか王異とかの諸々知って以来、涼州は修羅の国だぜぇぇ!としか思えなくなりまして。
私はフジリュー封神の太公望師叔が民族愛強い人だった所為で自分まで熱狂的羌族シンパになってしまい、従って後漢書にばんばん出てくる羌族討伐記事にはついムキムキせざるを得ない訳ですが(^ω^#)しかし羌族に関してのまとまった記事を初めて書いたのも後漢書西羌伝という。おかげで、少なくとも秦とバトってた戦国時代の羌からは現代までほぼシームレスで動向追えるんですよねぇ……。

当時の涼州って、今の新疆とかチベット的な状況ですよね。旧来の民族が軍事力で弾圧され、漢人もどんどん流入し、生活が漢化する地元民もいて。その土地の人にとって良い風に仲裁しようと考えても、色んな立場の人がいすぎてもうどうしようもない。
本当は平和的な共存が出来たら一番なんでしょうけど、中原の王朝から来た人に采配させたら、地元民全員の漢化一択しか方策選べないでしょうしねえ(-_-;)
また完全に放ったらかしたところで、地元民同士の部族間抗争はなくならないんでしょうし。

王朝と地元羌族の両方がまがりなりにも相応しいと選んだ人物があの董卓だったと考えると、なんとなく暗澹たる気分になってくるのはどうしてなんでしょうかね……。
やっぱり修羅の国なんじゃないかな、あそこ。

大体甘粛って今でも非中国っぽいですしー?
周族が服属するまでは、殷王朝の影響下にある地域の最西端は今の西安付近までだったんだし、あの辺から先は(少なくとも陝西以西は)西域扱いでいいですよね。
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