2012.03.08
晋伝はさくっとクリアしたので、その後はクロニクルモードで戦友にした姜維と劉禅の友好度(絆値とやら)をMAXに上げてギャラリーで全台詞聞けるようにしたり、三国志クイズ全問正解して修学士に誉められたりしてました。
クイズは四択なので迷うような問題でも大抵二択には絞れるし、一度不正解になっても次に同じ問題が出題されたらもう間違わないです。
結構解んない問題もあって、なんかおかしいなーと思ったら初級問題ほど演義基準で、特に黄巾討伐系に弱い自分を発見した訳ですが(^_^;)しかし勘だけで南蛮征伐系設問は一発全クリ出来たのは一体……。南蛮は各人のキャラが濃いから?
九品官人法=陳羣やら徐晃をスカウトしたのが満寵みたいな基本問題(?)は楽勝として、甄皇后が五女だとか馬超の嫁が楊氏だとかの情報は自分でも何故覚えてるんだか良く解んなかったんですが、しかし羊コちゃんの母親が蔡文姫の姉妹だとは知らなかったぜい……ということは羊徽瑜たんの母も同じくですよね……。へぇへぇ。
ワタクシ的には司馬家の嫁といえば張春華ちゃんが一番インパクトある訳ですけど(次点は賈南風)無双に登場した司馬昭嫁よりは司馬師嫁の方が印象的かもしれぬ……徽瑜たんじゃなく先妻の夏侯玄妹の方。マジで憎しみ合ってても本当は愛し合ってるのに時代が二人を引き裂いたのだ…でもどっちでも美味しい(^q^)
しかし晋シナリオの会話イベント中にモブ陳泰が結構出て来たんですが、何故荀イクさんの孫で陳羣の息子というモヤシ家系からあんな軍事的才能に恵まれたお子さんが生まれたのか、改めてしみじみ疑問に思ったことですよ。シミュレーション三國志でも陳泰の能力値合計の方が陳羣よりも高い罠(確か11?)。
そして何故賈逵みたいな人格者から賈充みたいな息子が生まれるのか……。
と、閑話休題(^_^;)
ゲームの話、なかんずく本題の(つもりだった)姜維と劉禅の話題に戻るとして。
いやぁ、クロニクルモード。先日は嫌がってましたが、いやはや、馬鹿に出来ないですわぁ。
色々なシチュで色々な反応をしてくれるので、少なくともキャラの掘り下げの一助にはなってますよね。
無双武将もモブの人達も国関係なく自動的に敵味方に割り振られて争ってるのが個人的には気に食わないんですが、それが嫌ならキャラ個別シナリオとか~同盟戦やると少なくとも陣営は固定されてるのでストレス感じませんし。
コンピューターが自動的に選んだ敵とはいえ、姜維がモブ黄皓(失脚させた)と費イ(兵くれなかった)を次々と血祭りに上げていってる姿を見ると、よくわからない怨念のようなものを感じて苦笑いが込み上げてしまいましたが(^_^;)
ま、通常なら共闘しかしない筈の人達の敵対台詞から見えてくる人間関係ってのもありますしねぇ……。
全台詞閲覧で見れた姜維の対劉禅特別台詞の数々で、すごく、よく解った(気になった)……。
一緒に出陣する時は「御身は死しても守り抜きます!」で(プレイ中一番よく聞いた台詞)、同行要請は「劉禅様、こちらへ。私と共に進軍しましょう」で、しかしいくら妙案でも主君を囮にするのは嫌で、救援されたら申し訳ないとしょんぼりして、敵対シチュになると「劉禅様……!?あなたを倒さねばならないなんて……」(自分が負ける可能性は一切考えてない)、敗北すると「劉禅様に破れるとは……。これしきの才で私は次代を担えるのか?」と、失礼極まりない台詞。孔明や趙雲相手の敵対だと、師匠の胸を借りてぶつかり稽古をする新米力士の如く、爽やかに対決を喜んでいるというのに(^_^;)
一連の特別台詞から見えるのは、姜維が心底から劉禅を大事にしてて、同時にこの上なく侮っているという事実です。断言。
陳寿が劉禅のことを白糸のような人だと評したことが思い起こされますが、そして数日前にプレイした蜀シナリオ中で劉備がやたら無垢無垢言われてて私爆笑したことを思い出しますが、つまり無双姜維にとっての劉禅とは尊敬してないお飾りという訳ではなく真に命を睹して仕えるに足る主君で、しかし能力は皆無…何一つ出来ないと信じ込んでて、そんな人を守り支える自分というポジションに深い満足を感じていると。まあ、必要とされている感は満たされますわな。
だから態度が女子供に対するようなかんじになるんでしょうなぁ……(-_-;)
姜維の中で、劉禅=蜀=仁の理想という、本来別物である筈の三者が別ち難く結び付く現象が起きていて(天水の戦いで姜維を下した時、敵兵すら労る劉禅の振る舞いを指して「あれが仁です」と端的に説明した孔明の所為)(多分孔明の中でも劉備個人のカリスマと仁という概念が渾然一体としていたのだと思われる)、劉禅個人のことは見てるようで見てないというか、かなり自分の中で神格化した「アイドルはトイレに行かない」とかの境地に達しているように推察されます。
自分の考えた仁を体現する存在である以上、それ以外のことを考えているとは思いたくない、自分がいなくても自力で何とか出来る人であってはならない、という依存心理。
晋シナリオ最後の成都攻略戦で、それまでの戦場を放棄して劉禅様を守る!と本陣前に急行、門の前に仁王立ちして司馬昭を迎え討つ姜維。そして彼の倒れた後、内側から門が開いて敢然と降伏を宣言する劉禅、というゲーム内イベントが随分象徴的だと思うんですが、姜維は、劉禅を守る行為において例え死んでも悔いはないんでしょうけど、じゃあ自分が死んだ後に遺された劉禅が何を考えどうするかについては何も考えていないのです……。
多分、何も考えられず何も決断出来ない人であって欲しいと無意識に望んでいるから、降伏も劉禅自身の意思で行ったとは認められない。だから、猛将伝・鍾会の乱で再会した時も、怨敵に無理矢理連れ去られ監禁されていた主君を助けに来たという態度になるんでしょうけど。
クロニクル・連携攻撃が出来た時に「劉禅様と連携を……!今までお仕えしてきてよかった!」とはしゃいでいる姜維がかなり可愛いんですよ……。
だから、姜維のそれを単なる自己満足で、忠誠心、腐的にいうと恋なんかではない、とは言いたくない。
相手のことを理解していなくても、恋って出来るんでしょうかね。どうなんでしょうね。
妄想一歩手前の一方的なものだとしても、本気で誰かを愛し、守りたいと思うのは恋じゃあないのか。
完全な思い込みの片想いなら兎も角、劉禅の側にも想いが伝わっていて、そして大切にしたいと両方で思っているのなら。
……という訳で、後半・劉禅サイドの考察に続く(^_^;)
結構解んない問題もあって、なんかおかしいなーと思ったら初級問題ほど演義基準で、特に黄巾討伐系に弱い自分を発見した訳ですが(^_^;)しかし勘だけで南蛮征伐系設問は一発全クリ出来たのは一体……。南蛮は各人のキャラが濃いから?
九品官人法=陳羣やら徐晃をスカウトしたのが満寵みたいな基本問題(?)は楽勝として、甄皇后が五女だとか馬超の嫁が楊氏だとかの情報は自分でも何故覚えてるんだか良く解んなかったんですが、しかし羊コちゃんの母親が蔡文姫の姉妹だとは知らなかったぜい……ということは羊徽瑜たんの母も同じくですよね……。へぇへぇ。
ワタクシ的には司馬家の嫁といえば張春華ちゃんが一番インパクトある訳ですけど(次点は賈南風)無双に登場した司馬昭嫁よりは司馬師嫁の方が印象的かもしれぬ……徽瑜たんじゃなく先妻の夏侯玄妹の方。マジで憎しみ合ってても本当は愛し合ってるのに時代が二人を引き裂いたのだ…でもどっちでも美味しい(^q^)
しかし晋シナリオの会話イベント中にモブ陳泰が結構出て来たんですが、何故荀イクさんの孫で陳羣の息子というモヤシ家系からあんな軍事的才能に恵まれたお子さんが生まれたのか、改めてしみじみ疑問に思ったことですよ。シミュレーション三國志でも陳泰の能力値合計の方が陳羣よりも高い罠(確か11?)。
そして何故賈逵みたいな人格者から賈充みたいな息子が生まれるのか……。
と、閑話休題(^_^;)
ゲームの話、なかんずく本題の(つもりだった)姜維と劉禅の話題に戻るとして。
いやぁ、クロニクルモード。先日は嫌がってましたが、いやはや、馬鹿に出来ないですわぁ。
色々なシチュで色々な反応をしてくれるので、少なくともキャラの掘り下げの一助にはなってますよね。
無双武将もモブの人達も国関係なく自動的に敵味方に割り振られて争ってるのが個人的には気に食わないんですが、それが嫌ならキャラ個別シナリオとか~同盟戦やると少なくとも陣営は固定されてるのでストレス感じませんし。
コンピューターが自動的に選んだ敵とはいえ、姜維がモブ黄皓(失脚させた)と費イ(兵くれなかった)を次々と血祭りに上げていってる姿を見ると、よくわからない怨念のようなものを感じて苦笑いが込み上げてしまいましたが(^_^;)
ま、通常なら共闘しかしない筈の人達の敵対台詞から見えてくる人間関係ってのもありますしねぇ……。
全台詞閲覧で見れた姜維の対劉禅特別台詞の数々で、すごく、よく解った(気になった)……。
一緒に出陣する時は「御身は死しても守り抜きます!」で(プレイ中一番よく聞いた台詞)、同行要請は「劉禅様、こちらへ。私と共に進軍しましょう」で、しかしいくら妙案でも主君を囮にするのは嫌で、救援されたら申し訳ないとしょんぼりして、敵対シチュになると「劉禅様……!?あなたを倒さねばならないなんて……」(自分が負ける可能性は一切考えてない)、敗北すると「劉禅様に破れるとは……。これしきの才で私は次代を担えるのか?」と、失礼極まりない台詞。孔明や趙雲相手の敵対だと、師匠の胸を借りてぶつかり稽古をする新米力士の如く、爽やかに対決を喜んでいるというのに(^_^;)
一連の特別台詞から見えるのは、姜維が心底から劉禅を大事にしてて、同時にこの上なく侮っているという事実です。断言。
陳寿が劉禅のことを白糸のような人だと評したことが思い起こされますが、そして数日前にプレイした蜀シナリオ中で劉備がやたら無垢無垢言われてて私爆笑したことを思い出しますが、つまり無双姜維にとっての劉禅とは尊敬してないお飾りという訳ではなく真に命を睹して仕えるに足る主君で、しかし能力は皆無…何一つ出来ないと信じ込んでて、そんな人を守り支える自分というポジションに深い満足を感じていると。まあ、必要とされている感は満たされますわな。
だから態度が女子供に対するようなかんじになるんでしょうなぁ……(-_-;)
姜維の中で、劉禅=蜀=仁の理想という、本来別物である筈の三者が別ち難く結び付く現象が起きていて(天水の戦いで姜維を下した時、敵兵すら労る劉禅の振る舞いを指して「あれが仁です」と端的に説明した孔明の所為)(多分孔明の中でも劉備個人のカリスマと仁という概念が渾然一体としていたのだと思われる)、劉禅個人のことは見てるようで見てないというか、かなり自分の中で神格化した「アイドルはトイレに行かない」とかの境地に達しているように推察されます。
自分の考えた仁を体現する存在である以上、それ以外のことを考えているとは思いたくない、自分がいなくても自力で何とか出来る人であってはならない、という依存心理。
晋シナリオ最後の成都攻略戦で、それまでの戦場を放棄して劉禅様を守る!と本陣前に急行、門の前に仁王立ちして司馬昭を迎え討つ姜維。そして彼の倒れた後、内側から門が開いて敢然と降伏を宣言する劉禅、というゲーム内イベントが随分象徴的だと思うんですが、姜維は、劉禅を守る行為において例え死んでも悔いはないんでしょうけど、じゃあ自分が死んだ後に遺された劉禅が何を考えどうするかについては何も考えていないのです……。
多分、何も考えられず何も決断出来ない人であって欲しいと無意識に望んでいるから、降伏も劉禅自身の意思で行ったとは認められない。だから、猛将伝・鍾会の乱で再会した時も、怨敵に無理矢理連れ去られ監禁されていた主君を助けに来たという態度になるんでしょうけど。
クロニクル・連携攻撃が出来た時に「劉禅様と連携を……!今までお仕えしてきてよかった!」とはしゃいでいる姜維がかなり可愛いんですよ……。
だから、姜維のそれを単なる自己満足で、忠誠心、腐的にいうと恋なんかではない、とは言いたくない。
相手のことを理解していなくても、恋って出来るんでしょうかね。どうなんでしょうね。
妄想一歩手前の一方的なものだとしても、本気で誰かを愛し、守りたいと思うのは恋じゃあないのか。
完全な思い込みの片想いなら兎も角、劉禅の側にも想いが伝わっていて、そして大切にしたいと両方で思っているのなら。
……という訳で、後半・劉禅サイドの考察に続く(^_^;)
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