2013.03.04
三國無双6の姜維について語った後、後半の劉禅考察に続く!と書いたのが去年の3/8で、既に丸々一年が経っているという恐怖。
だってだって><
無双劉禅様の行動原理とか思考回路って言動の端々から想像し易くはあるんですが、しかしあの人の一番の魅力は茫洋とした微笑の裡に本心を包み隠す、危うく謎めいた部分にあると思うのですよー!
何もかもを白日の元に晒すのは無粋……寧ろ劉禅様の魅力を損なう所業である気がしちゃって(-_-;)
私にとってのベスト劉禅様は、6晋伝ラストの宴会シーン冒頭で、魏人の悪口聞きながら謎めいた微笑を浮かべてる劉禅様なので……。
だってだって><
無双劉禅様の行動原理とか思考回路って言動の端々から想像し易くはあるんですが、しかしあの人の一番の魅力は茫洋とした微笑の裡に本心を包み隠す、危うく謎めいた部分にあると思うのですよー!
何もかもを白日の元に晒すのは無粋……寧ろ劉禅様の魅力を損なう所業である気がしちゃって(-_-;)
私にとってのベスト劉禅様は、6晋伝ラストの宴会シーン冒頭で、魏人の悪口聞きながら謎めいた微笑を浮かべてる劉禅様なので……。
しかし、無双7の蜀伝やってて改めて思ったんですが、無双設定の劉親子って思考の出発点は同じなんですよねぇ。民が苦しむ世の中を何とかしたいという。
劉備は民の苦しまない空間を作る為の戦いに明け暮れ、理想を体現する国を仮にでも築き、でも最終的には義兄弟(部下)への情を優先させて、大切だった民を自ら戦に巻き込む。
6の劉禅は、滅びるしかない運命に民を巻き込まない為に戦いを放棄し、国に引導を渡し、部下への情よりも世の中の安定を優先させて、捧げられた忠義を自ら踏みにじる。
動機は全く同じなのに、表に現れる行動が完全に真逆になっていて、まるで親の因果が子に報いとして降りかかっているような、運命の悪意のようなものを感じなくもありません。
劉禅は自分へ向けられた、劉備のスペアとしてのお飾りの皇帝、無害な象徴だけを望む周囲の期待には確かにうんざりしていて、己の境遇への恨みのようなものも確かにあるっぽいんですよねぇ。
6の死亡台詞の、これでやっと肩の荷が降りたと言わんばかりの言い回しからも、今の立場が負担なんだろうなぁと。晋伝の宴会でここには口煩い人はいない的なこと言ってたのも、司馬昭を怒らせる意図に加えて、本心の一片が含まれていた台詞ではあったんだと思います。
でも彼は彼なりに部下達を愛していたから、責任を放り出さず玉座に座り続け、国≒自分が民を苦しめている現状を憂えつつも、これ以上どうしようもない切羽詰まった状況になるまでは降伏を決断出来なかった。
自分の意思を殺してでも彼らの望む君主でいたいと劉禅自身が願っていて……いやまあ、そういう綺麗事だけじゃなくて、自分の意思を押し通すだけの自信が持てないから決断を先延ばしにしていた、という要素もあるんでしょうけど。
6の劉禅は何だかんだで、かなり己の責任を果たしていますよね。
民が健やかに生きる為には、蜀に固執することよりも戦乱を終結させることの方が重要だと決断。
大事な民を託す次の支配者が残忍な暴君なら降伏する意味がないので、自ら単身敵陣まで赴いて、司馬昭の器を確かめる。
で、司馬昭が劉禅にとって合格の人物だったので降伏。
もし降伏することで、却ってこれまで以上に民を苦しめるということになるなら、劉禅もあそこで降伏を選ばなかったと思います。
でも、本心言わないんだよなぁ、あの人……。
だから見る人によって、大義の為なら情を捨てるクレバーな人間にも、愛情深いが故に不器用にしか振る舞えない人間にもなるし、まあ視点によったら復讐鬼にも見えるかもしれない。
みんなのアイドル像を崩したくないのと、自分の考えを言っても理解して貰えるか不安なのとで、言わない癖がついちゃってるんでしょうけど……ちゃんと部下達に話してたらどうなってたんでしょうね。もっと君臣の相互理解があったら、6猛将伝にはならなかったでしょうか。
自分に自信ないのは偉大な(?)父親へのコンプレックスの所為なので、これは根深い……。
それこそOROCHI世界にでも行かないと解放されない類いの問題ですよなぁ(^_^;)
そしてOROCHI世界では北伐出来ない代わりに、ますます劉禅キチを悪化させる姜維であった……。
つねにびょうき。
劉備は民の苦しまない空間を作る為の戦いに明け暮れ、理想を体現する国を仮にでも築き、でも最終的には義兄弟(部下)への情を優先させて、大切だった民を自ら戦に巻き込む。
6の劉禅は、滅びるしかない運命に民を巻き込まない為に戦いを放棄し、国に引導を渡し、部下への情よりも世の中の安定を優先させて、捧げられた忠義を自ら踏みにじる。
動機は全く同じなのに、表に現れる行動が完全に真逆になっていて、まるで親の因果が子に報いとして降りかかっているような、運命の悪意のようなものを感じなくもありません。
劉禅は自分へ向けられた、劉備のスペアとしてのお飾りの皇帝、無害な象徴だけを望む周囲の期待には確かにうんざりしていて、己の境遇への恨みのようなものも確かにあるっぽいんですよねぇ。
6の死亡台詞の、これでやっと肩の荷が降りたと言わんばかりの言い回しからも、今の立場が負担なんだろうなぁと。晋伝の宴会でここには口煩い人はいない的なこと言ってたのも、司馬昭を怒らせる意図に加えて、本心の一片が含まれていた台詞ではあったんだと思います。
でも彼は彼なりに部下達を愛していたから、責任を放り出さず玉座に座り続け、国≒自分が民を苦しめている現状を憂えつつも、これ以上どうしようもない切羽詰まった状況になるまでは降伏を決断出来なかった。
自分の意思を殺してでも彼らの望む君主でいたいと劉禅自身が願っていて……いやまあ、そういう綺麗事だけじゃなくて、自分の意思を押し通すだけの自信が持てないから決断を先延ばしにしていた、という要素もあるんでしょうけど。
6の劉禅は何だかんだで、かなり己の責任を果たしていますよね。
民が健やかに生きる為には、蜀に固執することよりも戦乱を終結させることの方が重要だと決断。
大事な民を託す次の支配者が残忍な暴君なら降伏する意味がないので、自ら単身敵陣まで赴いて、司馬昭の器を確かめる。
で、司馬昭が劉禅にとって合格の人物だったので降伏。
もし降伏することで、却ってこれまで以上に民を苦しめるということになるなら、劉禅もあそこで降伏を選ばなかったと思います。
でも、本心言わないんだよなぁ、あの人……。
だから見る人によって、大義の為なら情を捨てるクレバーな人間にも、愛情深いが故に不器用にしか振る舞えない人間にもなるし、まあ視点によったら復讐鬼にも見えるかもしれない。
みんなのアイドル像を崩したくないのと、自分の考えを言っても理解して貰えるか不安なのとで、言わない癖がついちゃってるんでしょうけど……ちゃんと部下達に話してたらどうなってたんでしょうね。もっと君臣の相互理解があったら、6猛将伝にはならなかったでしょうか。
自分に自信ないのは偉大な(?)父親へのコンプレックスの所為なので、これは根深い……。
それこそOROCHI世界にでも行かないと解放されない類いの問題ですよなぁ(^_^;)
そしてOROCHI世界では北伐出来ない代わりに、ますます劉禅キチを悪化させる姜維であった……。
つねにびょうき。
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