2013.02.10
昨日から注意深くネタバレ回避中……。
いやまあ、大半総集編なんだから内容ほぼ知ってるっちゃ知ってるんですが(^_^;)
昨日友人と夜カフェってた間も、向こうがレ・ミゼラブルの映画行った話してくれてるのに「あー、原作のあゝ無情は昔読んだけどストーリーうろ覚えだなぁ、それよりも今日からタクト様の映画が!!」とか自分の言いたいことばっか喋った挙句、最終的には庵野→幾原→←榎戸→←五十嵐の五角関係妄想開陳して彼女をドン引きさせてしまいました。
ごめん、ごめんよ……(´;ω;`)
スタドラの何が凄いって、ストーリー自体はすごい王道の青春物なのに、TVシリーズ放送中に私が予想した展開ことごとく全て外してきたということです(^_^;)
南の巫子の双子ちゃんの関係は悲しい結末になるんだろーなー(なりませんでした!)
ワコ様はスガタ君よりタクト様の方が好きになっちゃうんだろーなー(なりませんでした!)
スガタ君はワコ様を愛するが故の嫉妬とタクト様への友情の板挟みで苦しんで後々敵に寝返っちゃうんだろーなー(そうだけどそうじゃなかった!)
おや委員長の猛烈アプローチ…これはラブコメ特有の恋敵が他の子とくっつく残飯処理カップル…?(ちがいます!)
委員長とくっつかないなら、ワコ様がはっきり振る前に敵になったスガタ君死んじゃって、必然的にタクト様とくっつくENDなんだろーなー(なりませんでした!)
そして綺羅星のヘッドが予想以上にしょぼい人だった(`・ω・´)
いやまあ、大半総集編なんだから内容ほぼ知ってるっちゃ知ってるんですが(^_^;)
昨日友人と夜カフェってた間も、向こうがレ・ミゼラブルの映画行った話してくれてるのに「あー、原作のあゝ無情は昔読んだけどストーリーうろ覚えだなぁ、それよりも今日からタクト様の映画が!!」とか自分の言いたいことばっか喋った挙句、最終的には庵野→幾原→←榎戸→←五十嵐の五角関係妄想開陳して彼女をドン引きさせてしまいました。
ごめん、ごめんよ……(´;ω;`)
スタドラの何が凄いって、ストーリー自体はすごい王道の青春物なのに、TVシリーズ放送中に私が予想した展開ことごとく全て外してきたということです(^_^;)
南の巫子の双子ちゃんの関係は悲しい結末になるんだろーなー(なりませんでした!)
ワコ様はスガタ君よりタクト様の方が好きになっちゃうんだろーなー(なりませんでした!)
スガタ君はワコ様を愛するが故の嫉妬とタクト様への友情の板挟みで苦しんで後々敵に寝返っちゃうんだろーなー(そうだけどそうじゃなかった!)
おや委員長の猛烈アプローチ…これはラブコメ特有の恋敵が他の子とくっつく残飯処理カップル…?(ちがいます!)
委員長とくっつかないなら、ワコ様がはっきり振る前に敵になったスガタ君死んじゃって、必然的にタクト様とくっつくENDなんだろーなー(なりませんでした!)
そして綺羅星のヘッドが予想以上にしょぼい人だった(`・ω・´)
幾原・榎戸をはじめとする複数人の合作としての少女革命ウテナがまずあって。
それから十年以上が経って、同じような時期に幾原の監督するピングドラム、榎戸が脚本書いたスタードライバーという作品があり、両作品にそれぞれウテナと共通するモチーフがあり。
一方でエヴァという作品には幾原をモデルとした渚カヲルというキャラがいて、榎戸の脚本参加したヱヴァ破、新しいカヲルの出るヱヴァQなんかもある。
今だからこそウテナの、特にこの要素はこの人のカラーが出てた箇所だったんだな…というのが見えるようになってきたのかなぁ、と。
例えばウテナ最終回の「姫宮!手を!」「ウテナ様!」の二人が手を伸ばし合うシーン。
ヱヴァ破クライマックスの「綾波!来い!」を入れるよう主張したのが榎戸だったという関係者証言、またスタドラ最終回の雰囲気からも、榎戸の好みでこのシーン入れたんだろうなぁと容易に想像出来ます。
絆の力というか意志の力というか、無理を通せば道理が引っ込むという展開。
それとは逆に、ウテナの鳳暁生が一種の悪のカリスマ的な、魅力あるキャラクターになってるのは、ピングドラムの眞悧先生がカリスマ放ってるのに対してスタドラのヘッドが超しょぼいキャラだという比較から、恐らく幾原の好みが反映されてるのだろうと妄想逞しくするワタクシです。
で、ピングドラムでは、世界に弾かれ姿を消したウテナのように、最終的に主人公の高倉兄弟はやはり世界からいなかったことにされる。献身的な愛、それによる自己犠牲が幾原作品では肯定的に描かれております。
TVエヴァでは謎に満ちた、ミステリアスな美少年だった渚カヲルが、ヱヴァQでは献身的な愛、自己犠牲を体現するキャラに変化していたのも偶然ではないのかもしれない、とか。
実際の幾原の人格が云々かんぬんは全く関係なく、要はクリエイターとしてそういう作品傾向というか価値観を持つ人間で、最初はただ謎めいた人間と感じてた幾原のそういう性質を庵野は長年の友人付き合いで理解してきたから、ああいう風にカヲルのキャラが変質したのかもしれない。或いはTV24話で関わってなかった榎戸が劇場版では割と脚本関わってるから何らかのイメージ修正を働きかけた?この辺の舞台裏事情は関係者がゲロらない限り全く解りませんが。
……さっきからかもしれない、ばっかりですね(^_^;)そもそも証拠なんて何一つありませんからねぇ。これで論文書いたら怒られるレベル。
スタドラでも、スガタ君は嫉妬とか乗り越えた果ての覚悟をもって、ワコ様への愛やタクト様への友情から、自分が身を退き犠牲となることで、二人を幸せにしようとする。
でもそれじゃ、タクト様に対するのと同じくらいスガタ君のことを愛しているワコ様は幸せになれない。スガタ君の犠牲の上に立つのではタクト様も決して幸せにはなれない。
で、後味の悪い結末に決してしない、タクト様のかっこよさ。あの感動のクライマックスに繋がるのですな。
幾原的なENDは想像つくけどタクト様の力づくな大団円は予想出来なかった、我が身の不明を恥じるばかりですが、だからこそ、私はスタドラが、好きだ!!(告白)
何日か前の深夜、スタドラ劇場公開前特番の番組をやってるのを観たんですが、プロデューサーのおっさんが、五十嵐監督はタクトに似てる、彼を彷彿させる爽やかな人だーとか言ってて。今Wikipedia見たら、佐藤順一にも「爽やかな人」言われたらしいですな。ほほう。
……そりゃ違う人と組んだら違う作品になりますよねぇ。五十嵐と榎戸のコンビで作ったから、スタドラはああいう作品になった、と。
中心的な視点キャラのワコ様が脚本家である榎戸に一番近いキャラなら、スガタ君は幾原、タクト様は五十嵐にそれぞれを仮託して作品を解釈することも可能……とか妄想するとニヤニヤが止まらないのです(・∀・)
これもWikipedia情報ですが、五十嵐もウテナを手伝ってて、でもって幾原の一つ下で同じ誕生日、両者は仲が良かったとな……?
やっぱりおっさんだらけの五角関係でいいんじゃないっスか??(もちろん冗談です)
それから十年以上が経って、同じような時期に幾原の監督するピングドラム、榎戸が脚本書いたスタードライバーという作品があり、両作品にそれぞれウテナと共通するモチーフがあり。
一方でエヴァという作品には幾原をモデルとした渚カヲルというキャラがいて、榎戸の脚本参加したヱヴァ破、新しいカヲルの出るヱヴァQなんかもある。
今だからこそウテナの、特にこの要素はこの人のカラーが出てた箇所だったんだな…というのが見えるようになってきたのかなぁ、と。
例えばウテナ最終回の「姫宮!手を!」「ウテナ様!」の二人が手を伸ばし合うシーン。
ヱヴァ破クライマックスの「綾波!来い!」を入れるよう主張したのが榎戸だったという関係者証言、またスタドラ最終回の雰囲気からも、榎戸の好みでこのシーン入れたんだろうなぁと容易に想像出来ます。
絆の力というか意志の力というか、無理を通せば道理が引っ込むという展開。
それとは逆に、ウテナの鳳暁生が一種の悪のカリスマ的な、魅力あるキャラクターになってるのは、ピングドラムの眞悧先生がカリスマ放ってるのに対してスタドラのヘッドが超しょぼいキャラだという比較から、恐らく幾原の好みが反映されてるのだろうと妄想逞しくするワタクシです。
で、ピングドラムでは、世界に弾かれ姿を消したウテナのように、最終的に主人公の高倉兄弟はやはり世界からいなかったことにされる。献身的な愛、それによる自己犠牲が幾原作品では肯定的に描かれております。
TVエヴァでは謎に満ちた、ミステリアスな美少年だった渚カヲルが、ヱヴァQでは献身的な愛、自己犠牲を体現するキャラに変化していたのも偶然ではないのかもしれない、とか。
実際の幾原の人格が云々かんぬんは全く関係なく、要はクリエイターとしてそういう作品傾向というか価値観を持つ人間で、最初はただ謎めいた人間と感じてた幾原のそういう性質を庵野は長年の友人付き合いで理解してきたから、ああいう風にカヲルのキャラが変質したのかもしれない。或いはTV24話で関わってなかった榎戸が劇場版では割と脚本関わってるから何らかのイメージ修正を働きかけた?この辺の舞台裏事情は関係者がゲロらない限り全く解りませんが。
……さっきからかもしれない、ばっかりですね(^_^;)そもそも証拠なんて何一つありませんからねぇ。これで論文書いたら怒られるレベル。
スタドラでも、スガタ君は嫉妬とか乗り越えた果ての覚悟をもって、ワコ様への愛やタクト様への友情から、自分が身を退き犠牲となることで、二人を幸せにしようとする。
でもそれじゃ、タクト様に対するのと同じくらいスガタ君のことを愛しているワコ様は幸せになれない。スガタ君の犠牲の上に立つのではタクト様も決して幸せにはなれない。
で、後味の悪い結末に決してしない、タクト様のかっこよさ。あの感動のクライマックスに繋がるのですな。
幾原的なENDは想像つくけどタクト様の力づくな大団円は予想出来なかった、我が身の不明を恥じるばかりですが、だからこそ、私はスタドラが、好きだ!!(告白)
何日か前の深夜、スタドラ劇場公開前特番の番組をやってるのを観たんですが、プロデューサーのおっさんが、五十嵐監督はタクトに似てる、彼を彷彿させる爽やかな人だーとか言ってて。今Wikipedia見たら、佐藤順一にも「爽やかな人」言われたらしいですな。ほほう。
……そりゃ違う人と組んだら違う作品になりますよねぇ。五十嵐と榎戸のコンビで作ったから、スタドラはああいう作品になった、と。
中心的な視点キャラのワコ様が脚本家である榎戸に一番近いキャラなら、スガタ君は幾原、タクト様は五十嵐にそれぞれを仮託して作品を解釈することも可能……とか妄想するとニヤニヤが止まらないのです(・∀・)
これもWikipedia情報ですが、五十嵐もウテナを手伝ってて、でもって幾原の一つ下で同じ誕生日、両者は仲が良かったとな……?
やっぱりおっさんだらけの五角関係でいいんじゃないっスか??(もちろん冗談です)
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