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2024.11.01
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2011.08.25
先日母について岐阜まで行く用事があったのですが、最寄り駅に着いたら無人駅でタクシーも停まってなくて目的地までどうやって行けば…とまごまごしてたら、たまたま駅前にいた地元のおじさんとおばさんが車で目的地まで連れてってくれたんですよね。都会では滅多に見られない優しさ。
地元も大概田舎だと思ってたんですが、長閑な山村の風景と相俟って、古き良き日本を感じた日でした。
ていうか、岐阜えらい涼しいですね。お盆のすぐ後の時期だったんですが、墓地に提灯を吊してる光景を初めて見ました……ひょっとして西美濃だけの風習なんでしょうかねぇ。

折角だからとその日は長良川湯泉に泊まって、翌日は岐阜城と関ヶ原古戦場へ……って、明らかについでの比重が重い(^_^;)

岐阜城
稲葉山城まじ難攻不落。
年配の方や親子連れが多くて、カップルもちらほら。ヲタっぽい人は見かけませんでした(^_^;)

関ヶ原
      田園風景の広がる現在の関ヶ原町。




関ヶ原では観光タクシーの運転手さんに見たいところを数ヶ所言って順番に回ってもらったんですが、私の希望は黒田長政・竹中重門陣跡(丸山)、三成陣跡(笹尾山)、大谷さんのお墓と陣跡(山中)と、よりにもよって須く車で入れない山中ばかり。麓で待機してもらったタクシー車内に母を残し、一人でえっちらおっちら山道を登山して参りました。いや低い山だから三箇所行っても計1時間半くらいでしたけど。

丸山








第一の目的地、丸山烽火場は竹林を登っていった先に……


   見えた!
sekigahara_maru6.jpg 

戦場跡を示す石碑。      sekigahara_maru3.jpgsekigahara_maru5.jpg


開戦の烽火を上げた場所と伝わる通り、見晴らしは良好。

当時の遺構が残ってない代わりに、やたらと黒田(青色)・竹中(白色)両家の幟がハタハタ翻っています。





……雨上がりで足下のつるつる滑る竹林を慎重に下り、次は三つの池を挟んだ西向かいの笹尾山へ。sekigahara_sasao7.jpg
山の麓には駐車場もあって、かなり観光地ナイズされている場所でした。
大型バスで来てる観光客もいたり。黒田んトコでも大谷さんトコでも余人の姿を見かけなかったんですが、ここは結構沢山の人が来てましたね。

写真に写ってるのは島左近の陣跡を示す幟。
写ってない隣は蒲生郷舎の陣跡です。
sekigahara_sasao3.jpg

左近の陣の脇から階段を上っていくと……頂上の三成陣地へ!
sekigahara_sasao6.jpg
幟と石碑。音声案内つきの展望台とかもありました。sekigahara_sasao4.jpgsekigahara_sasao5.jpg

sekigahara_sasao8.jpg



やっぱり当時の遺構が残ってる訳じゃないんですが、馬防柵と幟でプチ戦国気分は味わえるような仕様になってます。
当時から地形自体は変わってないでしょうしね。


最後に大谷さんのお墓まで!
藤堂高虎が建てたというアレですな。

徒歩10分くらいという話を聞きつつタクシーに下ろして貰い、山道へと踏み入ります。

sekigahara_oo1.jpgザクザク……sekigahara_oo2.jpgsekigahara_oo3.jpg
段々道が狭くなってきます。怖い。
途中見かけた看板には、「大谷吉継の墓 400m 15分」の文字が。10分ちゃうやん。
多分15分以上歩いた果て、やっと十字路っぽい所に出ます。そこを右折すると……

sekigahara_oo4.jpgやっと見えてきた!!













お墓自体を撮影することは申し訳なくて(というか罰当たりなので)しなかったんですが、石の柵で囲われたようなところに
五輪塔型の大谷さんのお墓と、その左隣に普通の長方形の湯浅五助の墓が並んで建ってました。

 石碑だけ撮影。昭和十四年三月建設とのこと。
 後ろに石の柵がちらっと写ってますね。
sekigahara_oo5.jpg

十字路まで戻って、今度は真っ直ぐ進むと(来た道から見ると左折)大谷さんの陣跡へ。
sekigahara_oo6.jpg
小さく写ってる案内板には300m 7分と書いてあります。
大分疲れてカメラが手ブレしてきている。sekigahara_oo7.jpg



sekigahara_oo8.jpgもはや道なき道に……って、
着いた!!
sekigahara_oo9.jpg
やっぱりブレてる。

撮影地点の背後が急な斜面になってるんですが、その下に神社(若宮八幡神社)があって、更にその先にはJRの線路が走ってるようです。それまで山奥のイメージで実際見通しも良くないのですが、列車の通過する意外と大きな音が聞こえました。
もしや、そっちから歩いた方が近かったんじゃ……・?あ、でも線路越えていけるのかな。

sekigahara_oo10.jpg
先程の黒田・竹中の陣跡近くにも小さな金比羅さんのお社があったので、大谷さんの場合も神社境内の広いスペースに陣を構えたということなんでしょうねぇ。で、指揮官は見晴らしとか安全面とか考えて、高くて奥まったところに陣取っていると。大谷さんの陣跡、見晴らしは全然良くないですが。
しかし敗将が戦場から逃亡・潜伏する話は多いですが、ていうか三成も6日間くらい潜伏してますけど、ドサクサ紛れに山の中に逃げ込めば、そりゃ捕まえるのは至難だよな……と今回実感しました(^_^;)
母から二回くらい電話掛かって安否を確かめられたんだぜ……。

そして麓のタクシーまで帰ってきたら16:40くらいになってて、16:30閉館の民俗資料館には行けなかったんだぜ……orz
いやまあいいですけど。岐阜城の天守も大した物置いてなかったし、似たようなもんでしょうけど。
ミュージアムショップのお土産には興味あったんですが、資料館の場所は駅前すぐ近くなので、また所用で岐阜県に行った時は近くの東軍の陣跡なんかと一緒に歩いて見に行きたいですね。

私を待ってる間に母は運転手さんと雑談してたんですが、後から母に内容を聞けば、若い女の子のお客さんが最近多い…とか話してたみたいですね。歴女か(笑)。男の子よりも多いらしい?ですが、関ヶ原の駅舎にいたのは若い女の子と若い男の子、親子連れってかんじ。
そして三成より大谷さんの方が女の子には人気らしい……マジですかΣ(゚Д゚)
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