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2011.05.08
10連休……あれ……?

アンサイクロペディアの「少女革命ウテナ」項に、「中二病増殖系サブリミナル怪電波」だの「視聴の際は1日1回を限度にしてください(精神年齢18歳以上の場合)」だの(冗談で)書いてあるんですが、一日五時間以上かつ数日間ぶっ通しで観てしまった場合、やはり脳に何らかの異常が現れるものでしょうかガクブル((( ;゚Д゚)))
まあ元々頭おかしいから大丈夫ですけど。

何年も観てないと、やっぱり色々と忘れてるエピソードもあって面白いですね。脚本集に載ってる話は流石に覚えてますけど。
石蕗くん、そういやストーカーキャラでしたね……(^_^;)

あと年を取って趣味が変わったのか、今まで番外編的に思ってた七実様回がすごく良かった(笑)。ウテナの登場人物の中で実は一番七実さまがマトモじゃないかと思ってたんですが、いやそんなことないですね。充分変な子です。
カウベル回が意外と深かった…(笑)。失敗しちゃったものは仕方ないからどう軌道修正して立ち直るかが大切って教訓は、暁生に誑かされてただの女になったウテナがどう王子様の気高さを取り戻すか…という後半の展開にも通じるものがあります。
って、カウベルと悪い男を一緒にしちゃいけないかもしれませんが(^_^;)

で、今まで瑠果の存在って脇役もいいところであんまりストーリーの本筋には要らないキャラだと思ってたんですが、これも作中に幾度も現れる見立て、反復のモチーフの一つと考えたら意味のある存在なんでしょうね。
瑠果は他人を救う為には自己を犠牲にするだけの覚悟が必要だという先例で、そして最終回のウテナはそれを踏襲する、という構成。
瑠果の存在をちょっと…と思ってた理由は、やり口が結構汚い(笑)のに加え、彼と樹璃のエピソードが王子様(男)がお姫様(女)を救うという旧来の物語であることが「少女革命」の物語に相応しくない…と、似非フェミ的な視点で駄目出ししてたんですよね。
そうじゃなくて、女の子を救えるのは女の子だけ、という認識自体が視聴者(というか私)の思い込みなんででしょうな……。何を成したかで人間の価値って決まるものですし、逆差別も(・A ・)イクナイ。
作品が「少女革命」だからアンシーが救われて物語は幕を閉じましたけど、少年だって革命を起こしても良いのです。実際生徒会メンバーや他の登場人物達も、(暁生以外は)革命への取っ掛かりくらいは掴んでるのでしょう。


ウテナの世界は半ば無意識の領域に属しているので、一つの言葉が複数の意味を持ち、同じ出来事が変奏曲のように細部のみアレンジされ幾度も繰り返される。混乱する人間の意識そのままというか、これもセカイ系のアニメですもんね。
アンシーの態度を都合良く解釈した幹の思い込みが裏切られるエピソードが、彼女が普通の女の子になりたいというウテナの思い込み、敗北の回で繰り返される。そしてその裏切りは最終戦で、もう一度形を変えて繰り返される。

アンシー自身は主体性のない女の子で、彼女に関わる人は白いキャンバスに絵を描くように、そこに勝手に都合の良い姿を描き出す。
ウテナすら自分の思い込みをアンシーに押し付けてるだけなんですが、しかしウテナがアンシーの心を動かすことになったのって、彼女が解らないなりにアンシーのことを知ろうとしてて、彼女に他の人間、本当に欲しい相手を投影して代用にしてる訳じゃないからなのでしょう。
アンシーを梢の代償にしてることをあまり隠してない幹に限らず、樹璃もアンシーと枝織を無意識に同一視してて、枝織へは恋情故に向けられない怒りや苛立ちをアンシーにぶつけてるようですし。逆に言うと枝織に似たアンシーに惹かれる部分もあるんでしょうが、彼女の気高くあろうとする克己心がそれを明らかにさせない。

その点、西園寺って一番単純に見えて一番難儀なキャラですよねぇ……。
あいつこそ思い込みキャラの急先鋒で、本心からアンシーのことを愛してるのも確かなんですが、あいつほどアンシーを何かに重ねてる奴もいない。
解りやすい範疇では奴にとってのアンシー=過去のウテナで、ライバルである冬芽と同じステージに立つ為に、彼にとっての特別な女の子が欲しいんですよね。
冬芽とウテナ=自分とアンシー、という同一化。
しかし永遠のものを見たいと過去のウテナが言ったからアンシーと共に永遠を手に入れようとする西園寺は、つまり本当は自分自身が永遠を欲しがってるんですよねぇ。
少年時代の回想シーンが、西園寺の怪我を手ずから手当てする冬芽→自転車二人乗りで冬芽の腹に腕を回してしがみつく西園寺→棺に横たわるウテナの髪を弄る冬芽の手を見てショックを受ける西園寺→冬芽のフェミニスト発言…という流れ。
西園寺って無意識では受けというか女性的な目線で冬芽のことが好きで、しかし自分は男だから女になって彼と恋をすることが出来ない。ならば同じ王子様ポジションに立つことで間接的に冬芽と同一化する…という過程を経てああいう行動原理になってるのかなぁ、という疑惑が芽生えてきます(^_^;)
つまりウテナ=自分の同一化が根底にある?
男らしさに拘って女は男に従うべきだ云々な意見の持ち主なのに実態は男女交際イコール交換日記の乙男だし、セガサターンのゲームでもヒロイン食わなかったし(冬芽ルートだとヒロイン食った挙句捨てた)、若葉と同棲してた時も何もなかったんでしょうなぁ……。
冬芽って男もイケる口みたいだから余計な気を回しすぎだよなぁとも思う訳ですが、冬芽の選んだ運命の人はウテナなので(片想いだけど)、男とか女とか関係なく西園寺の想いが届かないってとこは間違ってない。
しかし、本当はお姫様になりたかった男…とか書くと一気に気持ち悪くなるな(^_^;)
アンシーを好きなことも嘘じゃないんでしょうけどね。それを言うなら幹もそうですが。
西園寺が暁生カーに乗せられて世界の果てとやらを見ちゃった後は、アンシーへの執着がかなり薄れちゃってるかんじもしますが、何かは知りませんがロクでもないモン見せられて彼の心が悪い風に変質しちゃったと見るべきか、成長=革命に至る一過程として、より自分の本心(本当に執着する対象は冬芽)に近付いたと見るべきか……。


冬芽はウテナと同じタイプ。
自分と王子様(暁生)を同一視しようとして、高みに向けての自己変革を課している…けれど、冬芽の場合は真似した人間が悪すぎるというか、方向性を決定的に間違っていたのが悲劇。
あいつが血も涙もなく他人を道具扱いして、幼馴染みの西園寺を傷付けたり大事に守ってきた筈の七実を弄んだりするのって、冬芽にとって特にその二人が自分の子供時代の象徴で、二人を切り捨てることで子供時代と決別して早く大人になろうとしてたんでしょうけどねぇ……。そう思うとあいつも随分と子供っぽい。
世界の果て編になると他の生徒会メンバーも、(多分暁生の所為で)決闘によってそれまで執着してた物を擲つような動機を持ちますが、最終回近くなると捨てるでもなく執着するでもなく、適度な距離感で自分の感情と向き合えてる感じがありますよね。

方向性間違ってたといえば、七実の心を射止めようと冬芽を目指した石蕗くんが真っ先に用いた手段が自作自演な辺り、ある意味キャラ掴んでるというか的を射てる……(^_^;)
実兄の次に小学4年生を交際相手に選んじゃう七実さまは性の匂いが嫌なんだろうなぁというか、実はまだまだメンタル子供ですよね。
最初は弟でも…と言ってたのに年下ポジションに我慢出来なくなって、大人になって世界をめちゃくちゃにしたい…とか望んじゃう石蕗くんの方が精神的にも性的にも実は大人に近いという。
そして真の大人はチョコレートなんて子供っぽいから食べないとか痩せ我慢するんじゃなく、他人の目を気にせず好きなだけ板チョコ貪り食えるようになった人のことだと思いますです、はい。つまりおばちゃんメンタリティってことですけど。

ついでに冬芽も意地を張らずにこれからは妹と友達を大事にしたまえよ。
ついウテナとの関係を注視しちゃうんですが、七実や西園寺も、多分冬芽にとってかなり大事な存在だったんでしょう……。「友達が本当にいると思っている奴はバカですよ」の印象がどうも強すぎるんですが、それって友情について一度真剣に考えたことがあるから出てきた発言なのかもしれませんし。



しかし「痛いのぉ~?」で赤面するミッキーはやはり男性経験あるよな……。
セクハラ教師を突き落としてるだけじゃ足りないよ梢ちゃん!害虫駆除するならもっと範囲を広げなきゃ!!
これは前回視聴(多分三年前くらい)の時点で気付いたんですが、「君と同じように可愛い」「素直だ」で冬芽と梢の関係を悟っちゃうということは、つまり……。
梢ちゃんの意識の変遷は、正直未だに掴みきれてない部分がある(-_-;)黒薔薇編と世界の果て編の間で明らかに何らかの翻心がありますよね。他のキャラ(例えば枝織)も黒薔薇編を通して何らかの変化があったんでしょうか?うーむ。
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