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2024.11.02
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2010.03.22
映画館に行けず終いだった劇場版グレンラガンを、DVD借りてきて前後編ぶっ通しで観ました、今週。
素晴らしかったです。特に後編。アニメ史に残る…とまでは思いませんが(^_^;)二、三年に一度出るか出ないかレベルの名作には違いないです、グレラガ。
私はロシモの人なので、なるべく中立に健全に…と心がけてても、つい腐れた視点で視聴してしまうのが難点ですが(-_-;)

TVシリーズでの二人は、いつまでも死んだカミナを忘れられないシモン、ロシウがどれだけ相手の為を思って進言しても自分の信念を曲げず独断専行するシモン、いくら愛してもあの人は僕を見てくれない……なら僕だってこの想いを断ち切るべきだ……みたいな関係性で、うおおロシウ可哀想!ないがしろにされすぎ可哀想!!といった感じで激しく萌えさせてもらったものです。
で、ガガガ文庫のノベライズ(シリーズ構成が自ら執筆)といえば、二次創作界に蔓延していた仕事サボりまくってロシウに怒られるだらしない総司令像が単なる捏造でしかなかったことを暴露する、ロシウ対古参幹部の対立を自分が間に立ってなんとか緩和しようと努力するシモン、ロシウの判断を全面的に支持し、与えられた総司令の役割を必死でそれらしく演じようとする真面目で不器用なシモンさんがいる訳です。
私はTVシリーズでのアンニュイな表情で書類に埋もれる総司令を目にした際も、怠惰というより疲労の表情に見えたので(現状にうんざりしてるという意味では同じですが)ノベライズでの描写にもそこまで違和感なかったのですが、これはこれで何故そこまで年下の副官に気を遣って全面的に従っちゃってるんですか総司令!?という疑問が芽生えて萌え萌えしちゃう訳ですよ。
って、どっちにしろ萌えるのか。

この辺の、一見噛み合わなく思える二つの要素が、映画版では成程、と腑に落ちたんですよね。すとんと。
最終決戦も佳境に入り、クライマックスを前にしての決め台詞。
自分の前に倒れていった人々と、自分の後ろで未来を繋いでいく人々、その両方が螺旋の力になる…的な要旨の発言(メモ取ってないんで言い回しは違いますが)、それに合わせて沢山の人々が次々に現れるイメージ映像で、ばん、と最初に大きく登場するのが、過去ではカミナ、未来ではロシウなんですよ。で、過去の方はそこから段々ご年配の方々(笑)の姿に移っていって、未来の方は段々お若い方々に。
ああそうか、と。シモンさんにとってはどちらも同じくらい大事な存在で、カミナから受け継いだ志をロシウに渡すのが彼の至上命題だったのか、と。納得したのです。
この作品の大きなテーマは世代交代だ、という話も聞いたことありますし、TVシリーズの時点で気付いても良さそうなもんですが、最終回でシモンさんがコアドリルを渡した相手がギミーだったんで、なんかロシウは盲点だったというか……。
ロシウのこと何でもはいはい聞いてたのは、徐々に権力譲渡してるつもりというか、シモン的には世代交代の準備中みたいな感覚だったからで、だから死刑宣告されても当初は受け容れる気だった。
ロシウの、シモンが自分のことを愛してくれない(これは腐女子の邪推)、ないがしろにされているという疑いは誤解でしかない訳ですが、正面から向き合ってもらえてないと感じるのは、シモンの中で世代的上下関係が前提にあって、決してロシウのことを対等に見ていない…ということが自然と伝わってしまってるから。

あんた、そんな、三歳しか違わんのにどんだけやん……と思ってしまうんですが(^_^;)しかしカミナとシモンも実は三歳違いなんですよねぇ。かなり暗示的。
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